4月1日の話のようだが、聖火リレーのコースに「女人禁制」の舟があることが話題になっていた。
およその内容は、
「祭りで使用されている舟にランナーを乗せて聖火を運ぶが、舟が伝統的に「女人禁制」」
「男女平等をうたう五輪憲章を理解していないのでは」と批判
と言う話である。
ところで、この女人禁制の船に関する騒ぎを(ツィッター上で)見ていて
女人禁制なんて「差別だ」と言っている人が少なからずいることに気付いた。
関係者の「伝統だから。」と言う話を、
「伝統だからといって思考停止。」とまで言っている人もいた。
この「差別」発言に違和感を覚えた私は、
ツィッター上で意見をあげてみたが、すでにその話題は過去のものになっていて
あまり読まれなかったようだ。
悔しいのでwブログにした次第だ。
ツィッターでは文字数も限られているし、他にも思いついたことがあったからなんだけど。
もちろん、私は民俗学や宗教や祭りに詳しいわけじゃないから
私の知識の中で考えただけの事なんだけど。
そもそも「お祭り」って神様に対して何かを伝える行事であることが多いだろう。
『五穀豊穣』や『収穫祭』なんてのはよく聞く文句だ。
今回の祭りの船は「神様を迎える」船だそうだ。
私が考えるに、祭りって神様が男/女 だから この役割は 男/女 がやるべき
という「役割分担」だと思うのだ。
当然、祭りや役割によっては、この役は女性じゃないとダメと言う場合もあると思う。
あと、普段の仕事、危険の有無、力仕事かそうでないか。などなどいろいろな要素があると思う。
例えば、私は以前、とある地方のはだか祭に参加させて頂いたことがある。
この祭りのメインイベントは、神社の参道に集まったふんどし一枚の男衆がいる中、
参道のどこかから現れて本堂に入る「神男」に触れることが出来たら、
その年は無病息災とか。よくある感じのものであった。
「神男」は地域の年男の中から選ばれるという話だった。
事前にどこら辺から出てくるかなどは、当然のごとく知らされていない。
なんせ数百人?の男衆が、ひとりの人間をめがけて突撃するのだ。それは危険だw
私はというと、(神男が)現れたぞー!(と聞いたかどうかは定かではないが)と声が上がると
頭真っ白になって駆け出していた。
お世話をしてくれた地元の方の「昔はよく死人が出ていたらから・・・」という忠告も忘れて。
結局、私は「神男」に触れることはできなかったが、見ていた知人の話では
『かなりいいところまで行ってましたよ。』だった。
お。つい思い出話になってしまった。
では、この神男役の人は男性からしか選ばれないと言って差別だ。と言い出すだろうか。
もし、女性が選ばられたなら、1人の女性をめがけてふんどし姿の男が突撃することになる。
それはそれで他の人たちが騒ぎ出すだろう。
参加者も今は男性だけだけど、男女混合になってもそれはそれで大騒ぎだろう。
話がそれた気もするけれど、
祭りって「相手(神様)」がいることなのだ。
神様がこういう神様だから、この役割は、男/女。ってのがあるのは当然じゃないだろうか。
それを何でもかんでも差別だ!と言い始めて、なにもかも男女同じにしていては、
昔の人が設定した神様のアイデンティティを壊してしまう。
そして年月が経つと、「この祭りは何の為に誰に向かってやっているのか」という風になって
廃れてしまうんじゃないかと危惧してしまうわけだ。
祭りの背景も、祭っている神様も、何も考慮せずに[女人禁制だから差別]、
[伝統だからといって思考停止]などと言う方が
よっぽど『思考停止』していると思った次第だ。
そういえば、山で失せモノをした時は、立ち小便を3回すると見つかるとかなんとか読んだな。
これは山の神様は女性だからと言う話だった。
本文とは何の関係もないけど、
カップラーメンの残り汁で炊いたご飯で炒飯を作ってみた
正直言って理に適っていると思う。美味いし^^
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