無所属少年時代 #74 “ミッチー”軍団 | 鈴木篠千のゲームと釣りと少年時代の話。

鈴木篠千のゲームと釣りと少年時代の話。

レトロゲーム攻略、釣りと少年時代の思い出の話です。

毎日では無いですが、PM10~11:00に1~3本の記事をアップする予定。

ルール
①高額ソフトはやらない
②攻略本などは見ない。
③地元(浜松)で釣る。
④少年時代(無所属)の話。
(詳細はプロフィールで)

この“シリーズ”で何度も取り上げている、俺の憧れ(?)の友達、“ミッチー”(あだ名)の事を書く。


俺に“無所属”という“スタイル”(?)を示してくれたのは、彼だ。

顔が広く、誰とでも、いろんなグループと“薄く”、平等に付き合える彼の姿に俺は憧れを抱いていた。


(あんな風に他人と付き合えば、楽なのかな?)


そんな風に思えた。

だから、よく遊んでいたし、俺がいろんなグループに顔を出すようになると、彼はよくいた。


徒党


そんなミッチーだが、俺はあまり“憧れ”なかった部分もある。


それはミッチー自身が、己を中心としたグループ(ミッチー軍団?)を作っていた事だ。


以前、『ミッチーの近所の友達らと自転車レース🚴した思い出』(#22 ミッチー 自転車改造編)を書いた。


確かにミッチーは、彼の近所の連中と仲良く、俺もそれに加わっていたりしていたが、ミッチーには彼“だけ”のグループがあった。


それはミッチーの“弟”などがいた“ミッチーを中心としたグループ”だった。


それは言うならば、近所グループの“二軍”のような感じごした。


リーダーミッチー。

ミッチーの近所の仲間から、ミッチーが“選んだ”、ミッチー“の為の集団(軍団)”だった(と俺には見えた)


“無所属”を決めていたミッチーだが、どうも“自分のコントロールの効く”友達(手下?)が欲しかったようだ。


それは友達というより“手下”といった方が近いだろう。

ミッチーにもそんな一面があった。

“軍団員”はミッチーの弟を中心とした年下、下級生ばかりだった。


俺はどうも、このミッチー軍団が嫌いだった。


というのも、俺自身は近所の仲間と断絶していた。

そんな俺にも弟がいたが、弟の方は俺とは違い、近所の連中と仲良く遊んでいた。

なので、俺は弟や年下と遊ぶ事があまりなかった。


というか、年上連中と遊ぶ奴を小馬鹿にしていた。

このミッチーのように、“下級生や弟”と徒党を組む奴は他にもいた。

同級生や年上とは遊ばないで、自分の“子分”、“手下”としか遊ばない奴。


大人になれば…


つまり、“自分の思い通りになりやすい”人間(年下や下級生)としか付き合わない奴らだ。


俺は、そういう奴がキライで内心小馬鹿にしていた。



大人になり、“自分の小さなグループ”でしか威張れない人間をたくさん見てきた。

俺もそうだったかも?


それは“人の弱さ”だと思う。

誰しもが、他人を自分の“思い通り”にしたい。

だが、出来ない。


ならば、どうするか?


“思い通りにしやすい者”と“小さなグループ”を作る。そこに居れば、常に自分は“強者”だ。


それはよくある話だ。

会社のグループ、ママ友、サークル、仲間…。

そこには、“その場”でしか“居られない者”がいる。


俺たちの子供の頃のグループは、大なり小なりそんな見方ができる。


俺は、そんな奴を(…あんな年下ばかりと遊んで、カッコ悪くない?えーと軽蔑していたが、そんな状況になれば、“鈴木軍団”(恥凝視を作ったかもしれない。


子供は大人の縮図だ。

ミッチーも、他の奴のように威張りたいし、自分の思い通りの人間が欲しかったのだ。


そして、後年に#52~55のように、俺はミッチーに失望する。


このミッチー軍団は、無所属だった彼(…本人はそうら思ってないと思うが…)の“元値”だったのだろう。


ひょっとしたら、俺もミッチー軍団の一員だったのかな?