幽遊白書 #129 決勝戦へ | 鈴木篠千のゲームと釣りと少年時代の話。

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レトロゲーム攻略、釣りと少年時代の思い出の話です。

毎日では無いですが、PM10~11:00に1~3本の記事をアップする予定。

ルール
①高額ソフトはやらない
②攻略本などは見ない。
③地元(浜松)で釣る。
④少年時代(無所属)の話。
(詳細はプロフィールで)



暗黒武術会も大詰め。


遂に決勝だ。
 


ん?


改めて、何を言い出すのこの二人。俺たちはチームだろ?


飛影と桑原がいつもの“やり取り”ニヤリニヤリニヤリ


幽助には仲間がいる、という事か?
コイツらとなら、やれるニコニコニコニコニコニコ
死んだ幻海が言いたかったのは、これだな?

人は戸愚呂弟のように“何かを捨てないと強くなれない”と思う。
それは間違ってはいない。
人間関係、金銭、思想、拘り…。
それに“囚われている”人間を俺も数多く見てきた。

捨ててしまえば良い?

それはその通りだ。

だが、それでも残る“関係”がある。
捨てるべきは“環境”ではないか?
自分の負担になり、“言い訳”になる環境。

“環境のせいにしてはいけない”
何故なら、関係が環境ならば代えられるからだ。
戸愚呂のように“捨てたら”、変えられる。

それでも“捨てられない”、“捨てきれない”のはもう環境ではなく、“己自身”であり、“一部”だ。

仲間は大切か?

それは一概には言えない。ロクでも無い“友情関係”をよく見てきたからな。

“ある有名芸人”が言っていた。

『友達の嫌なところ10個を、ソイツの前で言って、それでも友達関係でいられたら、ソイツは親友や…。何故なら、その“嫌なところ”を我慢して付き合えるし、そるを伝えられるからや!』

嫌な友達は“捨てる”。
親友なら“付き合う”。
“環境”は捨てたら良い。“自分自身”なら我慢できるから、捨てない…というか、“捨てられない”のだ。

それを妖怪に転生しつ“捨ててしまった”戸愚呂弟は、悲しい😞“人間”なのだろうな…。

…妙に人間関係を考えてしまった💧💧💧



さあ、ようやく決勝戦だ。

俺の記憶では…、

蔵馬vs鴉(爆弾爆弾
飛影vs武威(パワーグー
桑原vs戸愚呂兄(軟体ゾンビ🧟‍♀️)
幽助vs戸愚呂弟(筋肉筋肉

…だったかな?
1人1人倒した印象がある。GB版でもコイツら(戸愚呂チーム)は全員強敵のイメージがある。

最初の対戦相手は?


鴉💣️


…同じ名前のバンド♪、好きだったな…。(知ってる?)


なら、最初は蔵馬。
やはり鴉は爆弾を使う妖怪みたい。魔界の爆弾だったかな?


原作でもこの対戦だったはず…。
魔界植物🌱vs魔界爆弾💣️の対決。

…蔵馬、どうやって勝ったっけ?


鴉、こういうキャラだったか?