この『無所属少年時代』の補足と、その後(中学生)の俺の話を“オマケ”として書いておく。
あれは中学生の頃。
俺は、学校以では何故かハンチング帽を被っていた。

それは親父の帽子だった。
俺の親父はハンチング帽(鳥撃ち帽)を被り、釣りやパチンコに行っていた。
それを俺はかっこ良く思えた。(何故?)
「何故?」と言われても、明確な理由は無い。
今から思うと、少しおかしなところがあったとは思う…。
親父は俺が小3の頃から定期的に外国に単身赴任に出ていた。中国→カナダ→スペインと赴任していた。長くて、中国に一年いた。俺が中学一年までに何回か、日本を離れた。
当時はバブル真っ只中。親父の会社も景気がかなり良く、外国に工場🏭️を増やしていた。
そして、親父は『現地指導員』として赴任したのだ。
今はオート(レース)とパチンコ、タバコ🚬、そして心臓にペースメーカーを入れている親父だが、俺の子供の頃はバリバリ働くサラリーマンだった。
そんな親父がハンチング帽を被っていた。
それを見た、俺は親父が2回目の海外赴任(カナダ)なら帰国後、親父からそのハンチング帽を譲り受けた。
親父の“居ない間”、婆さんと母親の仲はあまり良くなく、俺はそれが嫌で家から離れがちになった。
それも“無所属”を選んだ理由の一つかも。
俺には、このハンチング帽が“大人っぽく”映っていた。
そして、親父の“象徴”だったのかも。
当時(中1の夏🌻)、俺達(ゆー太、でじけん、兵庫など)は奥天竜の阿多古川に“川遊び”によく行った。
その時に俺は、そのハンチング帽を被って行った。
で、周囲から酷評された。
中学生がハンチング帽(鳥撃ち帽子)だ。
俺は得意満面、ニコニコ😃で“イキって”被っていったので、みんなから「何だよ、そのダサい帽子~」とか「変な帽子~(笑)」と言われて、かなりショック😱を受けた。
(…この帽子、カッコ悪いのか)
俺は萎縮し、親父の帽子を貶されて凹んだ
その後、俺は一人で自転車🚲️の改造にハマった。中3の最初の頃だ。
小学生の時も“ミッチー”や“てる”らと間で流行った。

俺は自分の自転車🚲️を少しずつ改造していた。
泥除けを違う奴にしたり、ブレーキをわざと緩くして、“スベる”ようにしたり(ダメだよ)、ライトを黄色にしたりした。
改造の“最大”の目玉は、タイヤを“モトクロス”用の太いタイヤに付け替える事だった。
細いママチャリ🚲️のタイヤでは、カーブでの体重の“ノリ”が違うのだ(たぶん)。
その計画を仲間(ゆー太、でじけん、兵庫、川ちゃん、ノボル)に話すと、ほぼ全員から小馬鹿にされた。
「ダサ!」「それ、意味あんの?」「何故、太くする?」
俺はこの改造を諦めた。
ハンチング帽にしても、自転車のタイヤにしても、何故、俺はあんなに周囲の反応に敏感になり、諦めてしまったのか。
『他人の目など関係無い』と思っていたのは、“あの無所属”の頃だ。
中学生になり、“ランク”(スクールカースト?)が“見え出す”と、俺はやたらと“周囲の評価”を気にする奴になってしまったみたいだ。
集団生活や社会の中で“マジョリティー”と“マイノリティー”がある。『主流派と少数派』という感じか?
誰もが、マジョリティー(主流派)になりたい。
常に自分は“異端”ではなく、多人数、大勢力でありたい。
間違っても、みんなから“白い目”で見られる少数派には居たくない。
俺もそんな中学生になっていたのかもしれない。
ハンチング帽は被っておけば良かった。
自転車🚲️のタイヤは改造しておけば良かった。
今さら後悔している。
他人の目👀など気にしなくてもどうにかなるのに…。
“無所属”の俺だったなら、きっと気にしてなかっただろうなぁ。
主流派(マジョリティー)と少数派(マイノリティー)なら、今ならマイノリティーを選ぶだろう。
何故なら、他人の目など“それほど”気にしなくても生きていけるからだ。