生命への畏敬 #登山RPG | 鈴木篠千のゲームと釣りと少年時代の話。

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レトロゲーム攻略、釣りと少年時代の思い出の話です。

毎日では無いですが、PM10~11:00に1~3本の記事をアップする予定。

ルール
①高額ソフトはやらない
②攻略本などは見ない。
③地元(浜松)で釣る。
④少年時代(無所属)の話。
(詳細はプロフィールで)

今回挑戦した、


『simpleシリーズ 登山RPG』

以前から気になっていた"simpleシリーズ"だったこともあり、また"simple"という冠から『軽くクリアだ…』とタカを括っていた。

実際は…、








悪魔👿のような敵の連続で、かなり苦労した。

特にラスボスの"エベレスト"などは、


『不死身か?』と思える強さ。
(エベレスト山脈はある意味、不死身だが…)

だが、
よく考えてみたら、このゲームに出てくる敵は、果たして"敵"か?  


凍傷α


突風🍃


滑落⛄


凍った死体💀

それは自然界にあるものでは?
(凍った死体は無いか?)

このゲームをやりだした時、



昔、北海道で野生の熊🐻が人を襲った話を観た。

ある動物研究者が言った。

「熊が人を襲うのは、熊に責任は無い。熊のいる"テリトリー"に人間が入る、もしくは、熊が移動する場所に人間がいるだけだ。彼ら(熊)はそれに驚いたり、怒ったりしているだけ。人間が近付かなければ熊は襲ってこない」  

それを聞いて、凄く納得した。
「熊に襲われた!」は熊側からしたら『人間がここまで来た!』でしかない。

そこには、人間の自然に対する尊敬が無い。

いや、地球上に生きる人間以外の生命に対する怖さ(=畏敬)の念が抜け落ちている。

も、も、クレパス(裂け目)も、雪男(?)も、やはり山に住む生命(…凍った死体は?)であり、我々(登山家)が彼らの"居住地"に勝手に"上がり込んで"いるに過ぎない。  

そこに、人間以外の生命への畏敬はあったか?


登山家が山へ向かうのは、
『登山家だから…』だ。

険しく、怖く、強い生命に対する"畏敬"なのだ。
それを持ち合わせていないと、このゲームの中の自然は、単なる"敵"になってしまう。

彼らはではない。
そこにある自然なのだ。恐れるべきだ。