近隣の図書館が新設移転をして、片道自転車40分な遠方に行ってしまった。
ご近所であったが故、いままで高齢者の溜まり場、
放課後の小学生の憩いにもなっていた図書館であったが、
そんな彼ら彼女らは今頃どうしているのだろう。
歩いて行くには、覚悟のいる距離である。
だからとて私自身、新設の図書館に行くことが億劫になったかといえば、
そういう分けでもなく、かねてより予約してた書籍が何十人もの読者を経て、
この新設図書館に取り置きされているとの連絡が入り、そそくさと自転車を走らせた。
本は大好きである。
その紙の集合体である造形も含めて、手元にあるだけで高揚感が増す。
部屋には書棚に入りきらず、床に並べてあるもの、
数箱の段ボール内で眠っているものと数々の読み終わった本達が存在することもあって、
もうこれ以上、無闇に増やす事を恐れて、最近ではすっかり図書館所蔵本ヘビーユーザーである。
今回我が家に短期滞在をするのは、カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」。
こんなにも翻訳が素晴らしい書籍は久しぶりで、翻訳家の善し悪しで
本文が決定づけられる海外文学は、ほんとうにギャンブルみたいなところがある。
内容よりも文体の奇妙さからくる違和感がぬぐい去れず、終始、頭に入ってこないことも屡々。
当然、日本文学にも善し悪しはあるが、それは個人的な文体の好みも入ってくるので、
海外本のような翻訳家という第三者を介入せざるを得ない作品の場合、
積極的に作品世界を台無しにしてしまってるところに出くわす。
原文で読めれば申し分ないのだけれど、如何せんそこまでの知識がない。
となれば翻訳家の力を借りる他が無い。
その点、今回の「忘れられた巨人」は翻訳の素晴らしさもあって、
物語に吸い込まれてゆき、先へ先へ次の頁をめくりたくて
仕方がなくなるような仕上がりになっていた。
もちろん、カズオ・イシグロの紡ぎ出す物語世界が面白かったこともある。
読み終えてから物語の細部を思い出して、反芻しながら、
じわりじわりと答え合わせをしていくような作品。
すでに映画化も決まっているが、さてどう映像化されることやら。
単なるエンタメファンタジーとして取り扱われるのだけはご遠慮願いたい。
書籍内でいい旅ができたので、今度はリアルに40分の道程を経て返却の旅へと向かおう。
