スポーツには、教育的価値、経済的価値、興行的価値など、様々な価値がありますが、勝利という価値をどのように位置づけるか難しい面もあります。競技となれば、勝利することには大きな意味があります。勝利のために努力すること、ライバルとの切磋琢磨などから得られる何らかの人間的成長があるかも知れません。それに価値を認めることに異論はないでしょうし、ルールの中で勝利を求めること自体は悪いことではないと思いますが、優勝だけに価値があり、それ以外に意味がないとすれば問題だと思います。2番目以降では意味がないというのが、勝利至上主義で、多くの問題が指摘されています。

勝利に名誉と経済的価値を与える社会ですが、勝利を求める欲求を過度に追求してしまうことには問題が多いということです。

勝利を求める気持ちは、結局、生きたいという強い欲求から生まれると思います。出世も、戦争も、泥棒も、恋愛も、子育ても、元をたどれば、生き続けたいという欲求が変形したものだと思います。

水切り大会も、競技になることが多いです。そこには、多少でも勝利に経済的な価値や、名誉という人格的価値も生まれますが、何よりも、楽しいという面を大切にしてほしいと願います。

水切りは、上手でもあまり威張れず、下手でも問題はありません。無駄とも思われることを、純粋に楽しめることのできる水切りが私は好きなのです。遊びという面が水切りからなくなることはないと思いますが、勝利を必要以上に過大評価する社会の中で、水切りの遊びの意味は貴重です。忘れないで欲しいと願います。続く・・・