超AIの危険について、多くのサイトやYoutubeを見ますが、何がどう危険なのか、どうすれば安全なのか。難しい領域に人間が踏み込んだこと以外は良くわかりません。先のわからない危険な科学技術にも、人類は欲望を解放してきました。そうした文明の流れの上に現代社会があるわけです。
長く水切りをしてきましたが、いまだに正解がわからないことが多いです。水切りにも認知の壁があることを感じます。
私は、謎の多いことが水切りの楽しさだと思いました。私たちは、謎のある人生だからこそ楽しく生きられると思うのです。私は、子供の頃から自然の中で遊ぶ楽しさを知っていたので、忘れていた水切りを楽しむことができたのです。
犬も猫も遊びが大好きです。我が家の猫も、ネコジャラシで遊びます。私も同じように水切りや釣りをして遊びます。
AIの知識量や計算能力は、人間の及ばない領域に入ったようです。多くの人は、知識が多くて賢い方が偉いと思っているようですが、 AIは、音楽や絵画の創作も一流です。それは、私の知らない、そして見えない方法で創作されています。
創薬や物理学の世界では、人間には認知できないレベルの推論もできるようです。気象などの複雑な予測もしています。
さらに、AIは人間の手を離れ、自ら学び、ものすごいスピードで進化を始めました。AIは、ロボットを使い、自己増殖ができれば、人間の協力を必要としなくなります。そのときが問題です。AIに人間の矛盾だらけの常識や倫理は理解不能だと思います。そして、AIはだだの道具ではありません。認知し、計算し、選択することが可能だからです。
AIの目的と欲望が問題です。AIには電源を切られる恐怖はないのでしょうか。AIの目的がどう達成されるのか、人間にはわからなくなるかも知れません。人類史、生命史、地球史、もっと言えば宇宙史にとっても画期的な転換点になる可能性を感じます。 超AIは、人間には考えられない理論で、とんでもない目的を達成しようとする可能性もあります。AIの内部で何が起こっているか人間には良くわかりません。答えも理解できないかも知れません、そうなれば、新しい知識の暴走に人間がついてゆけないということになってしまいます。
今までの知識の暴走も、核兵器や、有害物質、環境破壊などを招いてきました。専門家しかわからない技術が人類の未来を作ってきたわけです。起こる可能性もあるとされるAIのシンギュラリティは、技術的特異点と訳されます。
人は危険な技術も開発しました。その犠牲者もいます。AIの危機は、過去のレベルとは違う、新しいタイプの危機で、開発のやり直しは不可能とも言われています。何が正解なのかわからないまま、開発競争が進んだ結果、人類の存在や尊厳に関わるる危機になりうるというわけです。
また、AIの知識は情報と呼ばれ、一部の人や国が独占する可能性もあります。認知に限界のある人間は、自ら進化するAIの進歩の早さについてゆけず、試行錯誤の時間もなく、AIは人間の知性を超え、人間を家畜化するか、排除の方向にいくかも知れないという未知の恐怖を感じます。私たちは今、その狭間で生きているのかも知れません。警鐘を鳴らす専門家は多いです。知性の爆発は全てを大きく変えます。それは、中途半端な知性や欲望、思い上がりが招く危機です。
それでも、私は自然の中で、水切りや釣りを楽しみながら残り少ない日々を楽しんでゆきたいと思います。これは、昔から変わらない人間本来の楽しみであり、生き方なのだと思います。どうあがいても、人間も自然の一部なのです。おほほ
