私は今日で78歳になりました。今は老猫と一緒に、貴重な日々を釣りや菜園などで楽しむ老人ですが、経験を語ることにも少しは意味もあると思い、このブログを続けています。若い人たちには批判する対象も、共感する対象も必要です。私もそうして何とか生き伸びてきたわけです。
人間の文化は、生き延びるための工夫から始まり、やがて世界を理解し、意味を紡ぐ営みへと進化してきました。生きるための技術として始まった知恵も、いつしか宗教や哲学、芸術へと発展します。しかし現代社会では、効率や成果が重視され、文化の余白や意味は軽んじられがちです。特に精神文化や自然との関わりは、次の世代に伝わりにくい状況があると感じています。
かつての川は、子どもたちの遊び場であり、生き物と出会いや季節を感じる場所でした。しかし今ではほとんどの川がただの水路になり、防災の対象として管理されます。子どもたちは川で遊ぶこともなく、自然と触れ合う体験が少なくなっています。私はその現実を見て、子どもたちは本来原始人であるはずなのに、時代社会に対応するため、人工的な大人にされていると感じるのです。生き物として必要な感性が置き去りにされ、文明の間違いに気付くことのできるような基本的な感性が失われているのではないかと思ったのです。
55歳のとき、私は水切り遊びのサークルを作りました。目的は、自然体験の少なくなった子どもたちに、川と水、生き物や石と触れ合う喜びを伝えることで、子供達の自然への感性が逞しく育つきっかけになって欲しいと願ったのです。
水切りはただの遊びではありません。石の宇宙的な時間の手触り、色や形、水中の生物。水面の波や風を感じながら、石を選んで投げる行為には、技術と偶然が重なり、連続する波紋という美しい結果を生み出します。偶然性と美しさが融合するこの遊びは、自然との対話そのものだと思うのです。
水切りサークルの子どもは、初めは川で遊ぶ楽しさを知りませんでしたが、水切り遊びをきっかけにして、河川敷の食べられる草を摘んで味わったり、川に潜ったりして自然と触れ合うようになりました。その変化に気づいたお母さんは、私に言いました。「知らない間に子どもの心が成長した」と。おとなしい子でしたが、テレビにも水切り少年として出演したりしながら、中学では生徒会長に立候補するという成長をしたのです。子どもたちは自然に判断力や自主性を育て、自分で考えて行動する力を育んでいったように思います。
約20数年間、私はこの活動を続けてきました。水切り名人と言われて記録した波紋の数は46回でしたが、全ての条件が揃う奇跡によって世界記録を超えることもありました。今では日本の若い水切り名人は、世界大会で優勝したり、88回の新しいギネスの記録を超えるような若者も数名いて、海外でも活躍しています。小さな川辺の遊びだった水切りは、世界的にも文化として広がり続けています。
水切りという素朴な遊びですが、遊びを超えて人間の原始的で本質的な感性を呼び覚まし、世代をつなぐ文化の縮図のような面もあります。川や石、水という自然との対話を通じて子どもたちは文明の間違いに気づく基礎を取り戻します。
そして、水切り遊びを深く楽しむことで、文化の本質である「意味を紡ぐ営み」として未来へ受け継がれていくのです。
川辺で跳ねる石と、広がってゆく波紋を見つめながら、私は思います。未来の文化に必要なものは、こうした小さな遊びの中にも確かに存在していると。うひょひょ 続く・・・
