最近では、タレントや著名人にも「さん」をつけて呼ぶようですが、40年ほど前は、有名人を「さん」付けで呼ぶことは、ありませんでした。有名人は呼び捨てが普通でした。ここは、昔を舞台にしていますので、昔風に、さん付けなしで書いています。
===========================


          唐十郎が店に来た

 

 

12時を少し過ぎたときだった。
あわただしく2人の女の子が店に入って来た。
「ああ、12時過ぎちゃった。」
「ママ、お願い、チャージ無しで、ラーメン2つ、だめ?」
と言う。
「しかたないわね。いいわ。」と言って、ママはラーメンにかかる。

私はその二人を見て、内心驚いていた。
どうみたって、素人の女の子。
高校生くらい。
流行遅れのワンピースを着て、
ほとんどスッピン。
それに、髪型も、内巻きのおかっぱ。
昨日、故郷から新宿へ出てきたような、
アカ抜けない女の子二人だった。

こんな12時を過ぎたゴールデン街に来るような女の子とはとても思えない。

だのに、いかにも場馴れしている。

私はおしぼりを用意して、もって行こうとすると、
ママが私を止めて、
「あの子達にはいらないわ。」と言った。

その二人がラーメンを急いですすって去って行ったとき、
私はママに聞いた。
「あの人たちは何ですか?」
「どう見たって、今日東京へ出て来たような、娘でしょ           う。」とママは言った。
「ええ、このゴールデン街にいそうもない感じでした。」と私。
「新宿は恐いところよ。あの子達は、ぼったくりバーの、客     引き。」
「ええ?!」と私。
「あの子達は、新宿駅のあたりで、ボストンバッグ下げて、     迷子の振りしてうろうろしてるのよ。
 いかにも見かけ地方の子じゃない。いいおじさんがナンパ     してくるのを待ってるの。
 で、声を掛けると、ナンパされた振りして、ぼったくりバ     ーにうまく連れて行くのね。
 で、客にさんざんアルコール飲ませて、あの子たちはトン     ズラ。客は、だいたい10万円は請求されるわね。なけり     ゃ、有り金とられて、放り出される。
 10万円の内、あの子達の取り分は、まず4万円。店は6      万円。
 大体1日に2人連れてくれば、OKって訳。」

「わあ、恐いですね。ナンパなんてするもんじゃありません     ね。」
「そうよ。恐いんだから。とくに新宿わね。」
「ママのここは、すごく良心的ですよね。」
「まあね。ラーメン500円だし。」
「こういうお店もあるのになあ。」



あの女の子達は、疫病神のように、このお店の景気まで持っていってしまったのか、その後、しばらくお客が来なかった。

やがて、やっと2人の人影があり、男性2人が店に入って来た。私は、その男性の内の一人を見たとき、心臓が止まるほど驚き、棒立ちになってしまった。

私の余りの様子に、ママが心配して、
「ナナ、どうしたの。早くおしぼり持って行って。」と言った。

おしぼりを用意する手が震えた。
『唐十郎だ。もう一人は「早稲田小劇場」の鈴木忠志            だ…。』

私はそのころ、唐十郎に心酔していて、著書をいつも布のバックに入れて、時あるごとに読んでいた。夢にまで見た人だ。その人が私の目の前にいる。

私はおしぼりをもって、気を正し、唐十郎の前に、
「おしぼりをどうぞ。」と渡そうとした。
でも、その手が震えた。
ママが来た。お客様の前で手があまりに震えるのは失礼だ。

ママが、私に代わった。
「すみません。お気を悪くなさいましたか。」
ママは、そう謝り、陰に私を連れて行き、
「ナナちゃん、どうしたの。」と聞いた。
私はママに小さな声で、
「唐十郎なんです。」と言った。
「ナナちゃん、唐十郎のファンなの?」とママが小声で聞いた。
「ファンなんてもんじゃないです。」と私は言った。
「わかったわ。でも、知らんふりするのよ。
 お客様が名乗れば別だけど。できる?
 そばに付かせてあげるから。」とママは言った。
「うれしいです。がんばります。」と私は答えた。

「あの、ご注文を伺えますか?」と聞いた。
「あ、水割りとラーメン、鈴木さんは?」
「同じ。」
「かしこまりました。」ママに注文を告げた。
(間違いない。もう一人は、鈴木忠志だ。)

その内、別のお客が2人来た。
私が、いそいでおしぼりの用意をしたとき、ママが、
「ナナ、いいわよ。ずっと付いていなさい。そうしたいでし    ょ?」と言ってくれた。
「すいません。」と私は言って、唐、鈴木両先生の前に立っていた。

何か話しかけてくれないかなあ、とずっと期待していた。
今日のドレスはステキだし、ポニーテイルにしているのに…。
しかし、お二人は、お話に夢中で、私のことなんか見向きもしてくれなかった。
お二人のお話を聞きたかったけれど、むずかしくて少しもわからなかった。

「お待たせしました。」
と私はラーメンと水割りをお二人に渡した。(チャンス!)
手はもう震えなかった。両先生は、
「あ、どうも。」と言った切り、またお二人で話し始めた。

結局、お二人は、2時間半いて、
私の顔もろくに見てくれなかった。
私は2時間半ずっと立ったままで、
水割りのおかわりをしただけだった。
一言も話しかけてもらえなかった。

3時ごろ、お二人はやっと席を立った。
「お勘定。」と言われて、私はママのそばに行き、
お客様からお金をもらって、おつりを渡した。

お二人が帰って行く。

「ナナ。」と小声でママに呼ばれた。
「追いかけて行きなさい。一言でもお話がしたいでしょ。」
「いいんですか。」
「店の外ならいいわよ。」
「サインもらっていいですか。」
「いいわよ。」ママからそう言われ、私は、小部屋の私の布バッグの中から本とぺんを取り出して、それを胸に抱いて、お二人を追いかけた。

「あの、あの。」と言った。
お二人は止まって、振り返った。
「あの、唐十郎先生のファンなんです。サインをいただけますか。」
「なんだ、私のこと知っていたの。」
「この本にサインしてくださいますか。」
唐十郎は、本を手に取り、
「『ジョンシルバー』じゃないの!この本、持ってる人は珍しいのに。」
そう言って、初めて私をまともに見てくれた。
「私が一番好きな唐先生の作品です。」
「ふうん。これが、私の1番だと思うの。」
「はい。」
「唐さん、喜んでるよ。」と鈴木忠志が、私を見ながら笑って言った。(どういう意味かな?)

唐十郎は本を取り、表紙を開いて、自分のペンでサインを書いてくれた。
「ええっと、あなたは、ナナさんって呼ばれていたね。」
「あ、私の名前を書いてくださるのですか。なら『純』でお     願いします。」そう言った。
「『純』?ひょっとして君、私に戯曲を書いて送った?」
「はい。1ヶ月くらい前ですが。」
「『高屋町一丁目』?」
「そうです!」私は感激して飛び上がってしまった。
「返事が来ましたか?」
「いえ、まだいただいていません。」
「それは、すまないことをしました。大久保鷹に書くように      言っておいたんだが。
 あの作品は、スウィートな面はとてもよく書けているんで    すよ。だけど、人間はもっとどろどろした存在でしょ。だ    から、それを盛り込むともっとよくなりますね。」
唐十郎はそう言った。
「はい。ありがとうございました。」
「そうですか。ゴールデン街にいるあなたのようなお若い女     性が書いたのですか。想像もしませんでした。」
唐十郎はそう言って鈴木忠志と共に去って行った。

私は、しばらくお店のことも忘れて、
本を抱きしめ、夢心地で見送っていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 女装(ノンアダルト)へ
にほんブログ村