ヘイジュード(新宿編・第2部より)
※これは、学生の時、夜のゴールデン街で、
ママと二人の店で、アルバイトをしていた時のお話です。
私は、女装をしていましたので、言わばホステスでした。
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お客さんの中には陽気な人もいれば、静かな人もいる。
当然だけど。
その日、偶然なのか、静かなお客さんが3人来た。
みなさんそれぞれ、お一人で、ばらばらに。
その3人の男性が、そろったのは、10時を過ぎた頃だった。
みなさん、40歳の中ごろだった。
そして、黙々と飲んでいた。
ふとAさんが、ママと映画の話をした。
すると、Bさんが話しかけてきた。
それから、お二人で話をしている。
「最近、一番いいのは、『男はつらいよ』の山田洋次でしょう。」
「いや、大島渚の『新宿泥棒日記』じゃないかな。」
などと。
そして、Cさんも映画好きのようで、お話に加わり、
3人で、話がはずんでいった。
ママさんも私も眼中にない様子。
私はママに小声で、
「こんな日もあるんですね。」と言った。
「たまにね。お客さん同士で話してくれると助かるの。
でも、お話は、聞いているのよ。」
とママは小声で教えてくれた。
3人の男性は、話しながら、水割りをどんどん飲んで行った。
映画のお話は、ずっと続いていた。
やがて、洋画に移り、ヒッチコックとかジョン・フォードとか。
アメリカの男優で一番の男は、ジョン・ウェインだとか。
カーク・ダグラスは、男っぽいと言われているけど、
ジョン・ウェインの半分も男じゃないとか。
11時を過ぎた頃、3人の男性は少しウィスキーが回り、
お話はどう巡ってか、ご家庭のことになっていた。
その内、Aさんは、ご自分のことを語り始めた。
「私はねえ、一人娘が5歳のとき離婚しましてね。
私の浮気です。
娘はもう成人になっているけど、どうも、いい暮らししてないみたいなんですよ。
私は今も仕送りしていますが、それじゃ足りないみたいで。
それに母親は病気をしました。
それで娘は、中学を出たら働き始めました。
辛いこともあるだろうなあと思って…。」
Aさんは、ウィスキーで感傷的になったのだろうか、泣き始めた。
ママも私もあとの2人のお客さんも、だまって、Aさんの次の言葉を待っていた。
Aさんは、やがて続けた。
「私は、あの子の5歳まで、たっぷり可愛がったつもりです。
でも、それっきりです。
可愛がってやりたくても、私は帰れる立場じゃないですから。
あの子は、私のこと覚えていてくれるのかなあ。
これから先、大丈夫なのかなあってねえ、いつも思っています。」
Bさんが、Aさんの肩をたたいて、
「大丈夫だよ。心配しなくたって…。」と言った。
「あたしも、大丈夫だと思います。」私は言った。
いつも無口な私が、急にしゃべり始めたので、
ママも3人のお客さんも、驚いて、私を見た。
「私の母は、私生児として生まれました。
でも、5歳まで、父親にも母親にもすごく可愛がってもらいました。
それから事情があって、
祖母に当たる人に育てられました。
祖母はお嬢様育ちで、働く人ではありませんでした。
だから、ずーと苦しい生活で、貧しくて、
小学校を出てから母が働いて、祖母と二人暮らしで来ました。
辛かったと思います。でも、母は言っていました。
人は、人生の中で思いきり可愛がられた時があれば、
後は、一生やって行けるって。
楽しかったその日のことを思い出して、明るくがんばれるって…。
5歳まで自分を思いきり可愛がってくれた両親のことは、絶対忘れないって…。
母は今、とても幸せでいます。」
私はそのとき、自分の頬に涙が流れているのを感じた。
Aさんは、じっと私を見て、
「そうかい。ナナちゃんのお母さんはそう言ったのかい。
じゃあ、あの子も大丈夫かな。」
ママが、
「Aさん。ナナちゃんが大丈夫って言ってるんだから、大丈夫よ。」と言った。
「ちょっと音楽かけようかな。」とママは言い、
あるレコードをセットした。
流れて来たのは、ビートルズの新曲だった。
みんな、黙って曲に耳を傾けていた。
♪Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better …
(いいかい ジュード 悪く考えるな
悲しい歌を聞くといい 慰めになるさ)
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