自叙伝・新宿編④『小野さんのアパートへ行った』


 

土曜日。
明け方までの勤務だ。

今日の衣装は、赤と黒のストライプが斜めに入った、すごくステキなドレス。
七部袖。胸が開いているので、ママはペンダントを貸してくれた。ウィッグは、最近お気に入りのショート。

私は、銀のトレーを見つけたので、
ママにちょっと曲芸を見せた。

「ほら、ママ。ナナ上手でしょう。」
そういいながら、銀盆の上に水の入ったコップを乗せて、
それを自由自在に動かした。
コップの水は一滴もこぼさない。

「ナナ、喫茶店のウエイトレスの仕事は、本当だったの?」とママ。
「喫茶店じゃないです。キャバレーのボーイです。」と私。
「キャバレー?どこの?」とママは少し驚き顔。
「歌舞伎町の、恵○観光ビルの二階です。すごく広いところ    でした。」
「ああ、あそこね。あそこでボーイしていたの?」
「3ヶ月やりました。ホステスさん。毎日50人くらいいま     したよ。」
「でしょうね。」
「知らなかったわ。ナナは、何でもやったのね。」
「夜の世界を知りたかったんです。」
「で、どうだった?」
「お店が終わったとき、毎日3人ぐらいのホステスさんが泣     いてました。」
「私の六本木時代と同じだわ。毎日誰かが泣いていた。」
「それを、黒服のマネージャさんが、慰めていました。」
「それも同じだわ。」
「ママも泣いた?」
「そりゃね。ショーの踊りの練習が厳しかったし、
 ヘルパーさん、やらせてくれなかったり。」
「あ、わかります。ヘルパーさんて、人気のホステスさんの    応援隊ですよね。」
「そう。その人に嫌われると、もう付けてもらえなかっ           た。」
「そういうとき、どうしたんですか。」
「お店に早く行くの。ご指名のないお客さんが来たときは、
 早く来た順で、お客さんに付けてもらえたから。」
「ああ、だから2時間も早く来ていたホステスさんがいたん    ですね。」
「どこも同じだと思うけど。」



「ナナは、どうしてそこを辞めたの?」
「だって、1日6時間毎日働いて、月給は2万円ちょっとだ     ったんですよ。」
「それは、あんまりね。ホステスさんの方がいいと思っ           た?」
「いいえ。給料が安くてもボーイの方が気楽だと思いました。ホステスさんは、大変です。」
「ナナ、今そのホステスさんなのよ。」ママが笑いながら言った。

そうかあ…っと思って、不思議な感慨があった。
いつの間にか、私は、ゴールデン街のホステスだった。
そのことを、はっきり意識したことがなかった。
「女」として、男性客の気を惹く立場にいる。
まだ、ピンと来ないなあと思った。



お店の看板に火を点すために、ドアの外に出た。
そのとき、私を呼ぶ声を聞いた。

「ナナさん。」

女性の可愛い声。
驚いて振り向くと、小野さんが立っていた。
びっくりした。

「小野さん!どうしてここに?」
「ナナさんともう一度お話がしたくて。」
「お店で?」
「ううん。ナナさんの時間が空いているとき、ゆっくり          と。」
「でも、こんな時間に、女の子が一人でここにいては、ダメ     です。今、ゴールデン街の外まで、送ります。」

私はママに事情を話して、小野さんを、大通りまで送ることにした。
私は、小道の酔っぱらいや、立ちん坊の女性(?)から小野さんを守りながら歩いた。

「どうしてナナと?」そう聞いた。
「私、自分がわからなくなったの。ナナさんとお話すれば、     はっきりする気がして。」
小野さんは、そう言った。

小野さんは、早稲田のアパートに来て欲しいという。
私は、喫茶店が月曜日は休みということにして、
月曜日の昼の2時に、高田馬場駅で待ち合わせることにした。

約束の月曜日。
小野さんと約束したものの、さて困った。
私は、家族と暮らしている。家から女装で出るわけに行かなかった。それに、外出用の女物がない。
バッグ、靴。

しかたがないので、いつもの詩を売っている格好で行くことにした。黒いとっくりのセーター。上着はコールテンのロングコート。(元々女物だ。)
下着だけは、女物を身に付けて行った。
胸に詰め物を入れる。髪は1本に結ぶ。すだれの前髪、ピンクの口紅を薄く引く。
一応、これで女の子に見えるかなと思った。
(ほんとは、スカートにしたかったけど妥協した。)

    イメージ(ボーイッシュ?)
駅で、小野さんは私を見るなり、
「わ!ナナさんの素顔もステキだわ。ちょっとボーイッシュ    かな?」と、言ってくれた。

「ボーイッシュだなんて言われたの初めてだから、なんだか     うれしい。」私は、本心で言った。
(小野さんは、賢そうで、女の子女の子したタイプ。)

小野さんのアパートは、4畳半で、真ん中に小さなコタツがあった。回りは、本棚で、本がたくさんある。

小野さんは、あの日のママと同じことを言った。
敬語を使わないで。私のことを「久美」って呼んで。
だから、私も言った。ナナって呼んでって。



「ナナ、コーヒーを淹れるわ。」
そう言って小野さんは、半畳ほどの台所に立った。
「久美。本を見せてもらっていい?」
「どうぞ。」

難しそうな本ばかり並んでいた。

コーヒーを淹れてもらい、コタツに小野さんと向かい合って座った。

「久美は、これらの本、全部読んだの?」と私。
「まさか。飾っているだけ。」と小野さん。(でも、読んでるんだろうなと思った。)
「ナナが、久美のお役に立つの?」と聞いた。
「あたし、こうしてナナといっしょにいたかっただけかも知れない。」
小野さんはそう言う。
「どういうこと?」私は聞いた。
「ナナが、『水子』って知っていたでしょう。
 あのときから、ナナに惹かれてしまった。
 女同士なのに、ナナにちょっと恋をしてしまった。」

(どうしよう…と私は思った。私が可愛いと思っている人に、すごいこと言われてしまった。)

「隣に行ってもいい?」と小野さん。
「え、ええ。もちろん。」私。(ほんとに、どうしよう…。)

小野さんは、小さなコタツの私の隣に来て、私にもたれた。
小野さんの髪のリンスのいい匂いがした。
「女の子にこんな感情持ったの初めて。」
「……。」
「女の子同士だからかな。こんなに素直になれるの。」

「お店に立ってるナナは、すごく素敵だった。
 でも、こうして素顔でいるナナもすごく素敵。」

私は、可愛い小野さんを抱きしめたくなったけれど、それを懸命に我慢していた。

小野さんは、目をつぶっているみたいだった。

小野さんの柔らかそうな唇。キスをしたくなる。



そのうち、小野さんは、パチッと目をあけて身を立て直した。

「ごめんね、ナナ。ナナにちょっと甘えたかったの。」
「ううん。うれしかった。」と私は正直に言った。
「コーヒのお替わりいれるね。」

小野さんは立って、コーヒーをもって、今度は私の正面に座った。



私は、小野さんの本棚から、1冊の詩集を抜いた。
「見ていい?」と私。
「金子光晴、好きなの?」私の取り出した本を見て、小野さんが言った。
「一番好き。久美の本棚にあったからうれしかった。」
「そう。ナナは不思議少女だから、もう驚かない。」

私は、本を開き、詩の一節を、口に出して読んだ。

『忘れろ。忘れろ。人間のすることなど
 忘れればきれいなものだ。蚤虱ものこらない。
 おおかたのことは、大小となく
 世界が忘れてきたように。』

「あたしは、辛いことがあると、この言葉を唱えて、忘れて     きたの。」私は言った。

小野さんは、じっと私を見つめていた。

 

「ナナは、開いたページの詩じゃなくて、ナナが大好きな詩     を、本を読むようにして、あたしに聞かせてくれたの           ね。」
「バレちゃった?」と、私。

「今のフレーズを聞いて、あたし、ずっとこだわって来たこ     とを吹っ切れそうな気がする。ありがとう、ナナ。」



高田馬場駅で、小野さんと別れた。
駅の改札は込んでいた。
人並みに見えなくなる小野さんへ、私は大きく手を振った。

<おわり>

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