スーパー洋子・出版社編「天下の岩崎芳郎と対決」<後編>

 

 

「洋子さん。遊んでいる暇はないわよ」

と百合子が来た。

「終わりました」と洋子。

「うそ!1000ページよ」

「はい、でも、終わりました。

 校正の理由書も、作りました」

洋子は言った。

 

百合子は、キツネにつままれたような顔をして、

洋子の机の上の原稿を数ページ見た。

「なによ!」と百合子は真っ青になった。

「どのページも、赤と青の線だらけじゃない。

 世界の岩崎芳郎先生の作品よ。

 字句校正ならともかく、

 青鉛筆で、先生の表現まで校正を入れているじゃない。

 こんなの見せたら、先生は、立腹どころか、激怒なさる       わ。ねえ、坂田君。何か言って」と百合子。

 

「洋子先輩ほどの校正を、ぼくは逆立ちしてもできません。

 ぼくは、先輩の足元にも及びませんから、先輩を信じるの     みです」

坂田は、そう言った。

 

百合子は、自分でも洋子の校正を見たが、さっぱりわからなかった。

岩崎芳郎ならわかるのかも知れないと思って、洋子の校正を、そのまま、岩崎に送った。

 

心配した通り、岩崎から、烈火のごとくお叱りの電話がかかった。

そして、第1校正者から第3校正者、3人がすぐに岩崎家に来るように言われた。

 

3人は、岩崎家の応接間に通された。

そこに、低い長テーブルがあり、3人は、洋子を真ん中にして、ソファーに並んだ。

周りは、全て本棚で、本で満たされていた。

書生と思える学生が、2人いて、お茶を入れてくれた。

百合子は、カチンカチンになっていた。

 

岩崎は、和服でやってきて、3人に向かって座った。

ボンと、洋子のやった校正を机に置いた。

「私は、いままで、これほどの校正をされたことはない。

 それだけ、自分の文章に責任をもって書いているつもり       だ。この校正を主にしたのは、誰だね」と聞いた。

 

百合子が答えた。

「は、はい。第1校正を、隣におります、倉田洋子がいたし     ました。彼女は、わが社で最も優れた校正者ですので、

 第2、第3の校正者である、私や、その隣の坂田は、ほと     んど見ておりません」

 

「では、聞こう。第一ページの「衒学者」にルビをふれとあ     るが、その理由は」

洋子が答えた。

「はい、校正では、一般の人の6割が読めないと思われる漢     字には、ルビをふるか、ひらがなで書くことをお勧めして     います」

 

「では、その6割が読めないと、どうしてわかる。君の勘な     のかね」

「違います。国立国語研究所が、5年に一度行う調査の結果     を元にしています。

 『どの漢字を、どれだけの人が読めるか』というデータを      元にしました」

 

「『衒学者』は、何%かね」

「17%の人が読め、意味もわかる人は、5%です」

「私は、ルビは好かん。その漢字をひらがなにしたのでは、

 文のもつ美観が損なわれる」

 

「先生は、文の美観を最優先され、読者が、読めないし、意     味もわからなくても、それで、よしとなさるのでしょう       か。読みたい人は、自分で調べなさいと。

 大方の人は、読めない漢字があったとき、それを飛ばして     読みます。

 ある漢字が読めないとき、使うのは漢字辞典です。

 国語辞典ならまだしも、漢字辞典を使ってでも調べる人       は、希ではないでしょうか。

 しかし、先生がそういうお考えでしたら、

 私が、『ルビ』と指摘したところは、すべてお忘れくださ     い」

 

横で、百合子は、冷や汗をかいていた。

洋子が、岩崎芳郎に食ってかかっている。

坂田は、うきうきとしていた。

校正者として一歩も引かない洋子に、胸のすく思いでいた。

 

岩崎は、憮然としていた。

「では、次に聞くが、君が青線を引いてあるところは、私の     表現に関する部分だ。校正者が、表現に立ち入っていいも     のかね」

 

「ですから、赤ではなく青で記してあります。

 その青は、先生が過去に1度以上お使いになった表現で       す。読者は、素晴らしい表現に出会ったとき、

 心の中にいつまでも、忘れずにいるものです。

 その表現が、他の作品でも使われていたとき、読者はがっ     かりすると思います。

 そういう意味で、先生が過去に1度以上使われている表現     に青線を引きました。

 先生は、例えば、『銀色の目をした猫』という表現を、他     の作品の中で、26回も使ってらっしゃいます」

 

岩崎は、少し驚きの色を見せ、書生2人を呼んだ。

「確かめてみようじゃないか」

岩崎がそう言った。

洋子はこのとき、600ページからなる、「校正の理由書」を出した。

「これを参考に、お探しください」

そこには、同じ表現が使われている本の名と、ページ数と行数が書かれていた。

 

書生は、それを見ながら、岩崎の後ろに並んでいる本を一つ一つ調べた。そして、「銀色の目をした猫」が、26回使われていることを確認した。

 

岩崎は、しばらく何か考えながら、やがて言った。

「『銀色の目をした猫』を26回も使っていたとは、思わな     かった。これは、恥ずかしいことだ。

 すると、何か、君が、青線を入れたところは、全て、過去     に使った表現なのか」

「はい、そうです」

「君は、どうやって数えたのかね。私には到底できないこと    だ」

「先生の作品48冊を、何度も読み、よい表現を短冊に書き   出し、同じ表現をまとめ、整理しました」

(それは、ウソだと坂田は思った。先輩は、全部頭の中でやった。)

 

「その面倒な作業を、君はやったというのか」

「はい。たまたま、先生の他の作品を読みますうち、

 これは、過去に目にした表現ではないかと思い、校正者の  務めとして、他の作品についても調べました」

 

「そして、この約600ページはありそうな理由書を作った     のかね」

「はい。これがないと、探せませんので」

 

「さっき少し見せてもらったのだが、これは、只の理由書で     はなく、私のこれまでの48冊の全文学的表現が網羅され     ていた。

 しかも、あいうえお順に並べられている。つまり、私が、     今まで使った表現かどうか、使ったとすれば、どの本の、     どこで使ったか、簡単に探せる辞典になっている」

「はい。どうせ作るならと思いました」

 

「それに、君は、もう一つ、物語の中で、未完で終わってい     るエピソードが、いくつかあると指摘している。

 君なら、48巻全部について、それが言えそうだな」

「はい。全部言えます。とりあえず、今度の作品についてだ     け、意見書を添えました」

 

岩崎は、着物の袖に両手を入れて、しばらく考えていた。

そして、顔を上げたときは、表情が穏やかになっていた。

 

「いやあ、これは、驚きというか感激だ。

 ここまでの校正をやってもらえているとは、夢にも思わな     かった。

 倉田さんが作ってくださった「校正の理由書」は、私がい     ただいてもいいものかな」

「はい。先生の原稿と共にあるものですから」

洋子は言った。

 

「それは、ありがたい。600ページほどある理由書という     より辞典。これほどのものを作ってくれる人など、過去に     も先にもいないだろう。

 我家の書生が10人で1年かかっても作れないものです。

 私は、この理由書を、いや辞典を宝のように大切にし、座     右において、これから物を書くとき、同じ表現を使ってい     ないか、調べながら書くでしょう。

 ありがたいことです。

 

 また、未完にしたままで物語を終わらせたところは、

 すべて、解決させて、終わらせます。

 その私の不備を、今まで、言ってくれる人がいなかった。

 少しえらくなり過ぎたのかも知れない。

 それを、指摘してくださったことも感謝に耐えません。

 

 ルビについても、倉田さんの考えが正しい。

 さっき、私はついむきになってしまったが、

 私だって、全ての言葉を読んで欲しいのです。

 

 何から何まで、いきとどき、作家への思いやりに満ちてい     る。今後、私は、三栄出版社さんには、全幅の信頼を置き     ます。今後も、出版をお願いすることもあるかと思いま       す。

 

 ここまでのことを、してくださっているとも知らず、

 腹を立て、3人の方を、呼びつけたことを、恥ずかしく思     うばかりです。本来、私が伺うべきでした。その非礼をお     詫びいたします。

 申し訳ありませんでした。

 そして、ありがとうございました」

そう言って、岩崎は、深く頭を下げた。

 

百合子も坂田も、夢見る思いだった。

 

岩崎の家を出たとき、

百合子は、洋子を抱きしめた。

「もう、洋子ちゃん。相手は、あの岩崎芳郎よ。

 先生があれだけ感謝し、頭を下げてくれるなんて。

 先生の原稿が、今後来るかも知れないわ。

 大手柄なんてものじゃないわ。

 早く社に帰ってみんなに言いたい」

 

「洋子先輩は、ほんとにすごい人です。

 今日ぼくは、大興奮して聞いていました。

 今でも、夢を見ているようです」

と坂田も言った。

 

洋子は密かに思った。

ずっとスーパーでいたいけど、

そうではないところが、辛いなあ…。

 

『でも、まあ、いいか』

とポジティブになるところが、

洋子のいいところだった。

 

ピンチのときは、きっとスーパーになるだろう。

 

<おわり>

 

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      <私の好きな井出上獏さん>

 

          ステキですね。

 

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