「スーパー洋子・出版社の巻・<前編>

                  「相手は天下の岩崎芳郎」

 

ここは、倉田洋次のいる三栄出版社、校正部

「ああ、どうしよう。どうしよう。

 大変なことが起きちゃったの」

と百合子は、分厚い原稿を持って、校正部にやってきた。

 

「どうしたんですか。」とそばの人が聞くと、

「とんだ方からの原稿が来ちゃったのよ」と百合子。

「といいますと」

「誰から原稿が来たと思う?」と百合子。

「すごい人?」

「そう。今日本でノーベル文学賞にもっとも近いと言われる岩崎芳郎さんの原稿なのよ」

と百合子が言うと、みんなは、ひえーと声をあげて身を引いた。

 

「また、なんでそんなすごい人の原稿が、うちに来たんですか?」

 

「それが、前の出版社と喧嘩をしたらしく、

 やぶれかぶれに、うちに来たらしいの。

 A4で、1000ページなのよ。1000ページ。

 第3校正は、坂田君、第2校正は私、さて、第1校正は誰がいいかしら」

と百合子がいうと、みんな、百合子から目をそらし、

自分のデスクに向かってしまった。

 

そのとき、洋次は、まったく別のことを考えていた。

というのは、またお腹がいたくなって来ていた。

これは、いつも不吉な兆しなのである。

ああ、トイレに行きたいと思って、前を向いていたのは、

洋次、一人であった。

 

「倉田君。あなたがいたわ。

 ごくたまにスーパーパワーが出るじゃない?

 今度も窮地に立てば出るかもしれないわ。」

そう言って、百合子は、ドンと高さ10センチほどある原稿を、

洋次のデスクの上に置いた。

「え?何?これなんすか?」

と洋次は、間の抜けた声を上げた。

 

「それを、校正すればいいだけのことよ」

と百合子が言う。

「分厚いですよお」と洋次は言った。

「100ページずつになってるから、

 出来たものからあたしに回して」

と百合子。

 

洋次は、作者名を見て、ウソかと思った。

「岩崎芳郎…ええ?あの?あの岩崎芳郎ですかあ」

と洋次は声を上げた。

「そうよ」と百合子は、おもしろそうにいう。

「これ、いじめじゃありませんかあ」

と洋次は言って、お腹が痛くなり、トイレに行った。

 

個室にしゃがみ、神様に祈った。

ああ、出たときにスーパー洋子になっていますように。

 

祈りとは通ずるものらしく、

個室を出たとき、そこは、女子トイレだった。

「わあ、やった!」と思い、鏡を見てみると、

いつもの童顔。まるで高校生。

可愛い前髪を、洋子は、ふーと息で飛ばした。

 

洋子は意気揚々と帰ってきた。

座敷わらしのように、社のみんなは、洋子を見ても、

前からいる社員のように思っている。

 

洋子は、洋次のデスクに座った。

原稿を前にして、どうもやる気が起きなかった。

今をときめく世界の作家・岩崎芳郎の本をまだ一冊も読んだことがない。

上の図書室でも行って、読んでくるかと席を立った。

 

百合子が見ていて、

「洋子ちゃん、逃げる気ね。だめよ」と言う。

「あの、上で先生のご本を見てみようと思って」と洋子。

「1時間だけよ」

「先生の本、全部ありますか」

「あるわよ」

 

洋子は、図書室で、岩崎芳郎の著書全48巻を、

20分で読み、文章を全部暗記した。

「ふーん、天下の岩崎芳郎でも、問題を未解決のまま終わらせているものが、

 いっぱいあるではないか。きっちり終わらせてよね」

と独り事を言った。

 

20分で帰ってきたとき、

隣の席の坂田郁夫が、

「何かおもしろいのありましたか」と聞く。

坂田郁夫は、まだ2年目の新人だが、IQ180、

T大文学部を主席で出た、超秀才。

今や、校正部No.1の実力で、第3校正を任されている。

 

「おもしろいんだけどさ、いろんな人物の問題が未完のまま、

 本が終わっちゃうの。あの件どうなったの?って聞きたくなっちゃう。

 読者は、あれで納得して来たのかしら。

 それが、48巻全てその調子なのよ」

洋子は言った。

 

「え?先輩。まさか、あの時間で、48巻読んじゃったんですか?」

「坂田君だって、速読の中級だから読めるでしょう」

「まさか、20分じゃ、無理ですよ。

 でも、さっき先輩がおっしゃったこと言えてます。

 私も、同感です。あの先生の作品、

 未完で終わらせているエピソードが多いんです。

 読者がどうして、文句をいわないのか、不思議に思っていました。

 言わば『岩崎ワールド』みたいなのがあって、ファンは心酔してます。

 頂点に立つ人だから、誰もケチをつけられないんですよ」

 

坂田は、そのとき、洋子がスーパーモードであることを確信していた。

 

「洋子先輩。この際、校正で、そういうところガツンと指摘してやりましょうよ。

 相手が、どれだけえらかろうが、関係ありませんよ」

坂田は言った。

 

「うん、そうよね」と洋子は言った。

洋子は続けて言った。

「それとね、あの先生、同じ表現を何度も使うの。

 猫の目の表現をするのに、26回も同じ表現を使ってた。

 48巻通じてね。それって、みっともなくない?」

「みっともないです。でも、先輩、まさか48巻の文が全部頭に入っているとか」

「頭に入った文を、今、同表現をまとめて、あいうえお順にしているところ」

「先輩、それ、大きな声で言わない方がいいですよ。人間扱いされなくなります」

「そうね。」

と洋子は、うひひと笑った。

 

 

洋子はしばらくぼーとしていて、

「さあ、やるか。」と気合を入れた。

洋子は、赤と青の鉛筆を持ち、

赤は、直すべきところ。青は、直した方がいいと思われるところに分けて、

作業を始めた。

校正をしながら、パソコンで、

校正の訳を書いた「校正の理由書」を書いていた。

 

手書きの赤、青を入れるため、

さすがの洋子も、1000ページに2時間かかった。

「校正の理由書」の方は、今回の表現に限らず、

岩崎が過去に使った表現を、全48巻から抜き出し、

あいうえお順に並べ、その表現を、

過去のどの作品のどこで使ったかが一目でわかるようにした。

全部で、600ページの大作。

 

「先輩、神業ですね。信じられない速さです。

 理由書もただの理由書じゃないみたいですね?」

と隣の坂田が言ってきた。

その坂田も、みんなから、信じられない速さと言われている。

 

「うん。どうせなら岩崎芳郎さんに役に立つもの作ろうと思って、

 がんばっちゃったの」

 

2時間で仕上げ、洋子は、また、引き出しのゴム人形を戦わせ遊んでいた。

 

■次回予告■

 

洋子の校正を見て、かんかんに怒る岩崎芳郎。

はたして、洋子は説得できるのか。

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