ニューオーリンズにやって来た女の子<後編>

      「日本語ってよくわかるよね」


恭子のボストンバッグを、車の後ろに入れて、
車に乗ったとき、恭子は感激していた。
「わあ~、楽。車がないと、ボストン下げて、100メートルを10分かかった。」
「それ、全部ぼくもやったよ。」
私達はまず、私のアパートに行った。
「わあ~広い。家具付きだったの?」
「うん。便利だったよ。」
「ここ、月いくらで借りられるの。」
「110ドル。」
「わあ、じゃあ、私が今日泊まるハズだったホテルの1泊と    あまり変わらない。」
「でしょ。」

「ラーメンとお粥とどっちがいい?」
「ラーメンがいい。」
「元気になったね。」
「うん。精神的なものが、大きかったみたい。
 ジュンと日本語しゃべれて、それで、すごく安心した。」
ラーメンができた。
「わあ~、このチャーシューどうしたの。」
「つくったんだよ。豚の肩ロースの塊を、水の中で40分煮     て、冷やして、お醤油とお酒の中に、1日つけると、
 できあがり。」
「すごい。日本のラーメンのと変わらない。おいしい。」
恭子は、感激しながら全部食べた。

「どうする?昼寝をする?すぐ、バーボン通りに行ってみ       る?」
「もう、元気になったから、バーボン通りに行きたい。」
恭子の回復力は、大変なものだった。

バーボン通りのそばに、車を横づけにして車から出ると、
もう、ストリートからのジャズの音が聞こえてきた。
「わあ、なあに?隣のストリートから聞こえてくるの。」
「そう、ジャズホールは、みんなドアをオープンにして、
 通りの人に聞かせてくれてるの。」

通りに出ると、ジャズの通りだ。
「わあ、あたし、ここに来たかったの。ジャズ、聞き放題       ね。」
「うん、ぼくも初めて来たとき感激した。」

『プリザベーション・ホール』というジャズホールに来た。
昔のジャズマンでやっている「骨董ジャズホール」ともいうべきところ。
「わあ、ここ旅行ガイドに出てたの。1ドルで入れるんでし    ょ。」
「うん、1ドル。リクエストは2ドル。セインツ(聖者の行     進)は、町のシンボルだから、5ドル。」
恭子は、1ドルで入れることに感激しながら入った。
みんな黒人の70歳くらいの人で演奏している。

その内、曲が終わったとき、観客がわあ~と湧いた。
「どうしたの?」
「今、前の人が『セインツ』をリクエストしたの。」
「わあ、ラッキー!」と恭子が言った。
セインツは、演奏者が、ここぞとばかりに、陽気な音楽を奏でる。
ホールの後ろの方では、年配の人達が、踊っている。
「わあ、いいなあ。」と恭子が喜んでいた。

ホールを出て、恭子が食べられそうな、生ガキの店に行った。
「おいしい。アメリカに来て、おいしいと思ったの初めて。」
恭子は、1ダースをぺろっと食べた。
それから、フレンチコーヒーの有名な店で、
ドーナツとコーヒーを飲んで、
そこからミシシッピー河の堤防を上って行った。
堤防のベンチに座って、
「これが、ミシシッピー河なんだ。」と恭子。
ちょうど、夕方で、川面に夕日が照っていた。
遠くに、マーク・トゥエン号の船が見えた。

「あたし、もうここで、十分満足。
 今すぐ家に帰ってもいい。」と恭子。
「ニューオーリンズは、アメリカ第2の観光地。」
「1番は?」
「サンフランシスコ。」
「ここより、いいの?」
「車がなくても、困らない町。まるで、町が遊園地。」
「やっぱり、名前だけのことはあるのね。」

夕方、私のアパートに帰って来て、二人で餃子を作った。
皮も作る。恭子は、とても感心していた。

ベッドは、恭子に譲った。
私は、ソファーを横に並べて寝た。

翌日、恭子と私は、バーボン通りをもう一度見に行った。
私は、恭子に、飛行機の旅に変えることを提案し、
恭子は、賛成した。
私達は、バスのチケットを払い戻してもらい、
飛行場まで直行した。

「ジュンは、私に来てくれた天使だったと思う。」恭子はいった。
「まさか。」
「カフェテリアで、死にそうになっていて、日本語が聞け       た。あのときは、ジュンが天使に思えた。」
「そう。自分が天使になれるなんて、思っても見なかった。
 恭子は、ぼくが、このニューオーリンズに来てから、初め     ての日本人。ぼくこそ、うれしかった。日本語ってよくわ     かるよね。」
「ほんとに。」
二人で、笑った。
恭子は、何度も振り向き、私に手を振っていた。
私は、恭子がゲートに消えるまで、見送っていた。

恭子が次に行くのは、フロリダ・ディズニーワールドだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 女装(ノンアダルト)へ

励ましの1票を