ちょうどいい切れ目がなく、一気に最終回まで掲載いたします。<エピローグ>があります。これも、是非、読んでくださるとうれしいです。
=========================== 

<第4話>「将棋横丁の天使」最終回


『相手に考えさせず、奇襲作戦で一気にかたをつけるか。』
神田はそう思って大胆な手を打った。

5手程進み、洋子の手を聞き、あと1手で「王手」と奇襲作戦が仕上がるところに来た。角をある場所に「同角」とすれば、向こうの金2枚、銀1枚いただきである。がら空きの玉に3手詰めで終わる。そう思って、神田は、洋子の次の手を待ち構えていた。
すると、洋子は、間髪入れず「4九玉」と玉を1目右に寄せたのだった。

神田は、ギクリとして耳を疑った。
馬鹿にしきっていた洋子にかわされた。
「4九玉」は、たった一つしかない逃れの手なのだ。
それを、読んでいたとでもいうのか。
そして、ギリギリまで逃げの手を打たない。
それは、1打でも多く、相手に無駄駒を打たせるためか。

これで、奇襲作戦は失敗に終わった。
失敗に終われば、無残である。
このために前に出ていた角と銀と桂馬は使い物にならなくなった。奇襲をしたために、陣も張ってない。
これから自分の陣を立て直すには、余分に最低6手必要である。高段者の将棋は1手を競うものだ。
大き過ぎる痛手だった。神田は、焦った。

もう一つ、神田を恐れさせていたのは、洋子の手の速さだ。
神田が、手を言うと、洋子は、すぐさま次の手を唱える。
考量時間ゼロ秒で言ってくる。
相手の考量時間は、自分の考量時間でもある。
例え1秒であっても、相手に考えて欲しいのだ。

「早差し」を言い出したのは自分だ。
しかし、考えてみれば、
洋子は、初手から、考量時間、ゼロ秒で来ていた。
自分の方が、よっぽど時間を使っていたのだ。
『かったるい』と言われるべきは、自分であった。
神田は、そのことが、恥ずかしくてならなかった。

また、真理子は女流でも4段であり、自分より強い。
その真理子を2局とも下した相手に、
奇襲などが通じるはずもなかった。
そのことをもっと思うべきであった。
一口に、自分は「生意気」であった。
神田は、反省を深くした。

局面は進んだ。
あるときから、神田は、窓ガラスを拭く手を止めた。
その内、ガラス戸に向かったまま、正座をした。
10秒の考量時間をすでに2回使っている。

終盤。
神田は、3回目の10秒を使った。神田は、自分がどう守っても、あと12手で負けることを悟った。

神田は、洋子の前に正座し、「負けました。」と両手をついた。そして、言った。
「あなたのような強い方に、背を向け、
 ガラス拭きなどしながら対戦しました。
 その無礼をお許しください。すいませんでした。」
神田は、深々と頭を下げた。

真理子は、「わあ~。」と言って喜んだ。
「あたしが先生に負けたの、先生が強かったからだってわかってうれしい。」そう言った。

弟子たちや、長倉九段がやってきた。
「神田が負けましたか。
 それは、倉田先生に失礼なことをしました。
 お許しください。
 では、先生、もう1局、弟子の中で最強である吉井5段          とやっていただけませんか。
 吉井は、私を負かします。先生の手筋を、皆で学びたいん              です。」
長倉がそう言った。
「はい、吉井さんとやりたいです。」と洋子は言った。

今度は、廊下ではなかった。
8畳の部屋に、盤を置き、長倉はじめ、弟子たちがみんな集まった。もちろん、真理子も。

吉井5段は、ほっそりし、前頭葉の発達したタイプだった。
いかにも賢そう。
この人は強い。
洋子は、直感でわかるのだった。

一方、吉井五段も洋子と向かい合い、身震いがしていた。
この人は、とてつもなく強い。
今日将棋を覚えたそうだが、そんなことは関係ない。
全力を尽くして勝てるだろうか・・。
吉井は、そう感じていた。

将棋がはじまった。
皆が、まず驚いたのは、洋子が考量時間0秒に等しく打っていることだった。
さらに、洋子の駒の動きの意味が読めない。
方々に駒の力が拡散している。
しかし、これに神田2段は、負けたのであった。

長倉九段も、洋子の手がほとんど読めなかった。
これで、もし洋子が、吉井五段に勝てれば、
全く新しい将棋の誕生と言っていい。
(長倉は、心の奥で、むしろそれを望んでいた。)

局面は、四方に広がった洋子の駒が、今度は、収束に向かっていくところだった。
「読めない。しかし、何かをすれば、大きなしっぺ返しを食らう。」
吉井は、棋士としての勘で、それを感じていた。
一口に言えば、恐くて、駒を動かせないのだった。

長倉九段は、腕を組み、「ふ~む。」と声を上げた。

盤は、吉井の方が圧倒的有利に見える。
だが、追い込まれているのは、吉井の方であった。

洋子が、敵を攪乱できるのは、この時である。
何をしても、敵は恐れて、防備してくれる。
無駄駒1つにでも、相手は、考え迷ってくれる。
洋子は、その戦法で、吉井の鉄壁の陣に、徐々に隙間を作っていった。

そして、ある時点で、敵陣に2つの隙間を作り、
それぞれに対して、2つの攻撃の駒を配置させた。
相手は同時に2つの隙間は守れない。駒が足りない。

洋子が一つの攻撃を終えたとき、もう一つの隙間は、無防備をさらけ出していた。
この時点で、吉井五段は、勝てる可能性がないことを認め、
「負けました。」と頭を下げた。

両者、礼の後、吉井は、姿勢をくずし、
「いやあ、恐かったなあ。こう、広がった網をかけられ、今       度は、網の口が狭まって来る。その中に捕まって、もう身    動きが出来なくなってくるんですよ。すごい、恐怖でし        た。」と、言った。
神田二段が、
「そうなんですよ。なんか、締め付けられる感じです。
   恐いから、無駄駒だと思っても対処する。そのうち、自分     の陣が壊されていくんです。」と言った。

実質、長倉九段をしのぐ、吉井五段が負けた。
真理子や弟子たちは、感嘆の声を上げた。

長倉九段が、あらたまって洋子に言った。
「倉田先生。
 今、拝見したのは、将棋の革命とも言える、全く新しい将      棋です。先生が、棋士になられるのなら、こんなこと、と       てもお願いできません。
 しかし、もし、棋士になるお積りがなければ、先生の将棋     を、是非私共に伝授してくださいませんか。

 もちろん、先生のお名前は「倉田流」として残します。
 私達が「倉田流」で勝ちたいのは、もちろんですが、 
 新しい将棋として、世に紹介したい気持ちもあります。
   新しい将棋の誕生は、多くの将棋ファンに夢を与えます。
   そのことで、また新しい将棋が生まれるかもしれません。
   倉田先生、いかがでしょうか。」

「はい。私は、棋士になる気はありませんので、伝授させて     いただきます。ちょうど真理子さんに、こちらまで付き添     うよう学校に言われています。明日から、毎日こちらに参     ります。
 『倉田流』などと、私にとって、恐れ多いです。
 『将棋横丁流』なんて、いかがでしょうか。」
と、洋子は笑いながら、本気で言った。

「おおおおおー。」と弟子たちは、雄叫びをあげた。

「わあ、うれしい!」と真理子が抱きついてきた。
「倉田先生を連れて来てくれたことは、真理子の最大の手柄     だ。」と、長倉が言った。
「えへへへ。」と真理子が笑った。

夜、長倉師匠のご馳走で、大部屋で弟子もそろって、宴会となった。わいわいがやがやと、賑やかだった。
洋子は、そう言うのが大好きだ。
『これが、今回の私の使命だったのかな?』
洋子は、たっぷりお酒を飲み、浮かれながら、前髪をふーと息で飛ばした。

<おわり>
===========================
 

<エピローグ>

1年後、将棋大会において、吉井5段は、
これまで不動の王座にいた羽根十段をついに下した。
マスコミ界は、大騒ぎとなった。
対局後のインタビューで、アナウンサーが、
「この全く新しい将棋は何流と呼ばれるのでしょうか」と、聞いた。
「それは、『将棋横丁流』です。」と吉井は、はっきりと言った。

それを、テレビで見ていた、横丁の人々は、
「おい、聞いたか?」
「聞いたよ。『将棋横丁流』だとよ。」
「え?冗談じゃあるめーな。」
「はっきり言った。ほら、また言ったよ。」
わあーとみんなは、拍手した。
「だから、俺は、長倉塾が好きなんだ。」
「全くだ。粋なことをしてくれるぜ。」
と、互いに抱き合って喜んだ。

その後、吉井は、長倉九段と共に、すべてのタイトルを手にした。
神田二段は、4強に食い込み、真理子は、男子将棋に挑み、
3回戦に進んだ。

長倉塾は、「将棋横丁流」を独占しなかった。
洋子が、講義の度に、解説のプリントを用意してくれた。
それを全部合わせると、1冊の本になる。
洋子と長倉は相談し、印税をもらわず、
その分本の値段を下げて、「将棋横丁流のすべて」という
廉価な本を出した。

「将棋横丁流」の名は、全国に知られた。
将棋ファン達は、本を片手に、その研究に明け暮れ、
ファン同士が会うと、ああだ、こうだと賑やかに議論をした。このブームに、将棋ファンは2倍に膨れ上がった。

「将棋横丁」は、名所となって、連日多くの観光客が訪れ、
傾きかけていた食堂や土産物屋が大繁盛をした。
また、数ある将棋センターには、全国から将棋ファンが集まり、将棋を差す人の周りに見る人もいて、大入り満員であった。

例の賭け将棋のおじさんは、自称プロ2段として、1局2000円で、勝てば、土産物と交換した。負ければ、土産物をあげる。それでも、客は、列をなすほどで、以前よりずっと儲かるようになった。
訪れた人々は、都会の中に、まだこんなに温かい所があったのかと、皆、感慨を深くして帰って行った。

真理子は、ある日、にぎわう将棋横丁を歩きながら、思った。
『そうか、「将棋横丁の天使」とは、洋子先生のことだ。』
真理子は、洋子の賢くて可愛い笑顔を思い浮かべて、うふっと笑った。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<朗らかな女流棋士>

 

励ましの一票を!