<第4話>「裕美はアイドル!」

 

 

初勤務より5日が経った。

裕美が男の子であることに驚いたみんなは、

裕美がT大卒であることを忘れていた。

だが、みんなは、だんだんそれを思い出していた。

 

裕美は仕事が驚くほど速い。

裕美のPCを打つ速さが、断トツに速い。

だから、裕美は、仕事が終わると、まだの人の仕事を手伝う。

PC操作のわからない人がいると、裕美は呼ばれて、すぐに教えに行く。

 

裕美は、外科病棟の全入院患者の名前を覚えていて、

どこの手術をしたか、全て把握している。

外科病棟と言っても、外科の手術だけで入院する患者は多くない。

内科の疾病を抱えながら、外科手術が優先であるために、

外科に入院している患者もいる。

裕美は、そこまで、全部把握していた。

 

ナース達は、担当以外の患者の病室に行くとき、

裕美に少し聞く。

「あの915の小杉さん、骨折の他に何かあったかしら。」

「はい。腎臓です。強いお薬を呑んでいますから、

 その副作用があると思います。」と裕美。

「どんな副作用?」

「えーと、視野が暗くなるとか、震えが来るとか、食欲が落ちます。

 塩分制限があるので、酢飯を召し上がっています。

 だから、そんなところをお聞きになるといいと思います。」

裕美は、にっこりと笑う。

「ありがとう。」とナースはうれしそうに、裕美の頬にチューをした。

 

新しいナースが来たとき、患者は、自分の病状を知っていてほしいものだ。

そこを、ずばり、

「視野の方は、いかがですか。まだ景色が暗く見えますか?」とか、

「病院の酢飯の方は、いかがですか。お口に合いますか。」など、聞かれることはうれしいことだ。

これらは、患者日誌を見れば、だいたいわかるが、

毎日それをチェックするのは容易ではない。

その点、裕美は、患者の最新状態を知っているのだ。

 

そんな裕美に対して、嫉妬の目で見る人は、この病棟にはいない。

「裕美のような優秀な子がいて、ラッキー!」とみんな思っているのだ。

それは、1つに裕美の性格の好さもあった。

 

そんなある日。

みんなが、裕美の希少価値をはっきりと思う出来事があった。

自転車とぶつかり、大怪我をして、救急車で運ばれてきた男性がいた。

手術の後、入院となり、外科病棟の病室に来た。

頭や、腕、脚に包帯を巻かれた30歳くらいの患者だった。

東洋系の外国人なのだ。

困ったことに、彼が誰だか、特定するものがない。

衝突のとき、バッグが飛ばされたようなのだ。

彼は、しきりに何かを言っていた。

一生懸命、何かを伝えようとしていた。

 

担当の医師佐伯浩司や看護師の上原洋子、篠田沙月は、困っていた。

患者は、大事なことを言おうとしているのかも知れない。

佐伯は、困り果て、ナースステーションに来た。

「誰か、あの人の言葉が分かる人いませんか。」

ええ?とナース達は言って、その病室に押し掛けた。

「英語なら、なんとかわかるのに。」

「あたし、ハングル語なら、入門だけどわかるけど。

 何語なんだろう。」

そのとき、後ろから声がした。

「あのー、あのー、私、わかります。」

みんな声の主を見た。それは、江崎裕美だった。

裕美は、前に出てきた。

「この方は、ベトナムの方です。

 誰か、ベトナム語が分かる人いませんか、とくり返されていました。」

裕美は、患者に、ぺらぺらと話した。

すると患者は、裕美を見て、嬉しそうに安堵の色を顔に浮かべた。

患者は、裕美に、いくつかのことを話した。

裕美は、うなずいた。

「この方は、ユン・グーという方で、

 腎不全の妹さんに、腎臓移植のドナーとして来られたそうです。

 あさってが、その手術の予定日だそうです。

 今朝、日本に来て、妹さんに会いに来られたそうです。

 でも、この事故で、手術に間に合わないかと、それを大変心配されています。」

 

佐伯主治医は、

「妹さんの病院を聞いて。」と言った。

裕美は、話した。

ユンさんの言葉に、裕美はにっこりした。

「この麻布の森病院ですって。

 多分、11階の腎内科・透析病棟だと思います。」

わあ~とみんなは歓声を上げた。

 

高坂美由紀外科部長は、佐伯医師に聞いた。

「佐伯先生。この怪我で、あさっての腎移植できますか。」

佐伯は言った。

「深い傷は負ってませんので、大丈夫ですよ。

 移植手術は、1時間ほどで終わりますから。

 ドナーの負担は、少ないです。」

「わあ~よかった。」とナース達は、拍手をした。

 

裕美は、それらのことを、ほぼ同時通訳で、ユンに伝えていた。

ユンは、安心して、目を潤ませた。

 

みんなが、去った後、ユンと裕美でこんなことを話した。

ユン「私は、ここが麻布の森病院とは知らなかったのです。

   救急車で運ばれましたから。

   知っていれば、妹を呼んで通訳してもらうところでした。

   でも、あなたがいてくれました。

   どうやって、ベトナム語を学ばれたのですか。」

裕美「高校のとき、フォンというベトナムからの留学生がいました。

   私達は、大の仲良しになり、彼女から、ベトナム語を習いました。」

ユン「そうですか。あなたのベトナム語は、限りなくネイティブに近い。

   素晴らしいです。」

裕美「それは、フォンから、耳で聞いて覚えましたから。」

ユン「そうですか。このベッドで、腎移植のことを思ってパニックになっていたとき、

   あなたの美しいベトナム語を耳にしました。

   どんなに嬉しかったことでしょう。」

裕美「お役に立てて、うれしいです。これから、手術が終わるまで、私は、ユンさんのおそばにいると思います。」

ユン「そうですか。心強いです。」

裕美は、にっこりと、ユンを見つめ、うなずいた。

 

その頃、ナースステーションは、大騒ぎだった。

「やっぱり、江崎さんは、ただ者じゃないわ。

 ああ、今日ステキだったわ。」

「そう、江崎さんのベトナム語聞いたとき、感激して震えちゃったわ。」

「江崎さん、T大出だって、覚えてる?」

「あ、そうっか。だから、ベトナム語もできるのね。

 きっと英語はもちろんのこと、ドイツ語も、フランス語もできそう。」

「ああ、可愛いし、この外科病棟のアイドルだわ。」

「ファンクラブ、作ろうかしら。」

「それは、大袈裟でしょう。」

「そうね。」

あははははとみんなは大笑いをした。

 

そこへ、裕美が戻ってきた。

みんなは、一瞬黙ってしまったが、せーので、大拍手をした。

「な、なんの拍手ですか。」と裕美は言った。

「江崎さんが、この外科病棟のアイドルって決まったのよ。」

「え、そんな恥ずかしいです。」と裕美は言った。

何人かが、裕美の頬にキスをした。

多くの人が、裕美が男子であることを忘れていた。

 

ユンのバッグは、届けがあり、警察を通じで戻って来た。

ユンと妹との移植手術は、成功した。

ユンは、その2日後に退院した。

ユンにとって、裕美は忘れ得ぬ人となった。

 

 

■次回予告■

裕美は、キューピッド

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            <裕美のイメージ>

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