小学校3年のとき、泣いてしまった思い出

 

 

 

私は、小学校の3年生まで、すごく内気な子でした。

2年生の時、工作の授業で、先生が回ってきたとき、

「ここは、こうすればいいのよ。」とアドバイスをくれました。

たったそれだけのことで、涙が出てきてしまい、うつむいて泣いていました。

先生は、私の作品を、けなしたのではないとわかっていても、先生に何かを言われただけで、泣いてしまうような、子でした。

 

3年生になり、背が高く、溌剌とした男の先生が担任になりました。

5月ごろだったと思います。

図工の時間に、紙粘土を使った人形を作ることになりました。人差し指が入る筒の周りに、新聞紙を丸めてボールを作り、それを、白い紙粘土をつけて、人形の顔を作ります。

 

私は、図工が大好きで、また上手だと言われていました。

私は、そのとき、人形の顔が特別うまくできたと思いました。そばに来た女の子が、「わあ~、上手!」と言ってくれました。

口をとがらせて、耳をつけて、少しユーモアのある人形ができました。

 

できた人は、学校に人形を置いていき、仕上がらなかった人は、家に持って帰り、宿題になりました。

 

次の日の図工の時間です。

先生は、外にいました。

そして、人形ができた子が、次々に先生に見せにいきました。私も、人形を持って、並んでいました。

そして、自分の番が来たとき、先生に見せました。

「おお、これは、大人並みだな。家で、手伝ってもらったか。」と先生が言ったのでした。

「いえ、ぼくが一人でやりました。」

と、言い返せる性格ではありませんでした。

私は、先生の言葉に傷つき、人形を持って、

校舎の陰に行きました。

涙が、どんどん出てきて、校舎の陰で泣きました。

泣いているところなんか、誰にも見られたくありません。

 

やっと、悲しい気持ちを抑えて、その日、人形を持って家に帰りました。

 

家に帰って、父母に、人形を見ての、先生の言葉を話しました。

父は、怒りました。

「父さんは、明日学校へ行って、先生に、家族の誰も手伝わ   なかったと言ってやる。」

母が、それを止めました。

「はっきり、自分一人でやったと、その場で言えなかった       ジュンもいけなかったんだから、大人が手伝ったと思える     ほど、うまくできたと、そう思うことにしましょうよ。」

父「ジュンは、どうなんだ。お母さんのでいいのか。」

私「ぼくも勇気がなかったのがいけなかったんだから、お母     さんのでいい。」

 

こうして、人形のことは忘れて、楽しく夕食をとりました。

 

その日の夜の9時ごろです。

先生が、訪ねてきました。父も母も私も行きました。

先生は、玄関に立ち、頭を深く下げて、

「ジュン君にあやまりに来ました。」とそう言いました。

「ジュン君が一人で作った人形を、家の人に手伝ってもらっ   たのか、と言ってしまいました。

 今日、さよならをした後、女子が5人来て、教えてくれま   した。

 『ジュン君は、大人並みに、工作が上手なこと。

  大好きな工作を、人に手伝わせたり、するはずがないこ     と。

 『ジュン君は、昨日のうちに仕上げ、人形を学校に置いて     行ったこと。つまり、大人が手伝ったはずがないこと。

  それから・・・」と、先生は言って、喉をつまらせた。

 『私の心無い言葉が、ジュン君を傷つけ、ジュン君は、校           舎の陰でしばらくの間、泣いていたこと。』

 

 そう言って、先生は、目に涙を浮かべ、私を見て、

「ジュン君、ごめん。先生が悪かった。君を傷つけてしまっ   た。ごめんなさい。」

と、さらに頭を下げました。

 

父は、ほれぼれと先生を見て、言いました。

「先生。ありがとうございます。

 子供の心を考え、わざわざ、訪問し、謝ってくださった。

 おそらく、夕食の時間に当たらないよう、

 今まで、学校で、待っていてくださった。

 十分です。先生のお心は、十分いただきました。

 ジュンそうだな。」

「先生。これからは、勇気を出してちゃんといいます。

 ぼくの方こそ、ごめんなさい。」

 

先生は、私の顔を見て、少しにっこりして、頭を下げて帰っていきました。

 

かなり、昔のことです。先生の地位は今よりずっと高くて、

先生が訪問して、謝ってくれることなど、滅多にないことでした。家族も私も、感激しました。

 

その後、先生は、私にある機会を与え、私を、クラス1のおしゃべりな子にしてくれました。

そのお話は、またの機会に。

 

 

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