チン〇ンピーン(私の女装癖は、バレていたのかも)

 

 

                               イメージ

 

私の女装願望に、私が初めて気が付いたのは、

5歳のときでした。

その頃、姉はバレー(踊りの)を習っていて、

スクールで、白い練習着を着て、稽古をしていました。

白いタイツに、白いレオタード。そして、白いパニエ(ペチコート)。

そして、紐のついたトーシューズです。

私は、その姿に、憧れを持っていました。

 

姉は学年が進み、背が伸びて、バレーの稽古着を買い換えました。そして、小さい稽古着が、お蔵入りとなりました。

 

あるとき、姉と兄とで、私に、古くなったバレー着を着せてみようということになりました。

私は、内心うれしくてたまらなかったのですが、

「いやだ、いやだ。」と逃げました。

でも、着てみたいという気持ちに勝てず、わざとつかまって、おとなしく、着せてもらいました。

最後に、ふわふわのパニエを付けた時、うれしくて、天にも昇る気持ちでした。

私は、髪を伸ばしていましたし、鏡を見るとまるで、女の子でした。

姉と兄は、父母も呼んできて、面白そうに私を見ていました。

 

こんなことが2度あったのです。

二度目は、姉が悪乗りをして、私に赤い口紅を塗りました。

鏡を見た私は、胸がドキンとしました。

なんたる口紅の威力でしょう。私を、一気にさらに女の子に見せます。そのとき、例の現象が起きました。

私のアソコが、ピーンと膨張しました。

私は、無邪気に、

「あれ?チン〇ンがピーンとなっちゃった。」と言いました。(その現象は、子供でも起こるのです。)

 

あるとき、父と兄と私で、公園で遊んでしました。

そのとき、女装さんが、通ったのです。

私は、その人を見て、「チン〇ンピーン」と言いました。

 

テレビで、クレイジーキャッツという人たちが人気でした。

その中の、ピアノを弾く人は、いつもサザエさんのような女装をしていて、私は、その人を見るたびに、「チン〇ンピーン」と言っていました。

 

家族は、女装の人が出るたびに、私がそう言うので、

知っていたかもしれません。

女装の人を見ると、私は性的な興奮を抱くと。

自分のこの傾向は、自分でも、十分に理解していて、

寝る布団の中で、女の子になった妄想にふけっていました。

 

 

私は、小学校にあがりました。

そのときはもう、人前で「ピーン」の状態になったなど、

口に出すのは、恥ずかしいことだと、思うようになりました。

 

女の子に、女物の服を着せてもらったことがありますが、

そのとき「ピーン」状態になりませんでした。

私は、気づきました。

5歳の頃と違って、今は、一人の時でないとピーンにならない。つまり、プライバシーがないとダメだと、知りました。

 

私は、高校生になった頃、やっと思い至りました。

幼いころ、恥ずかしげもなく「ピーン」などと言っていたことで、自分の女装癖が、バレバレだったのではないかと。

姉や母は、「ピーン」の意味がわからなかったかも知れません。ピーンの元がないのですから。

兄に女装癖は、ありません。

「ピーン」は、理解していたと思いますが、

それは、幼い頃の一時的なことだと思っていそうでした。

 

父には、すべてバレている気がしました。

父は、ふざけて、よく母の服を着て見せて、

「どうだ、女に見えるか?」などと面白がっていました。

 

「純なら、女の子に見えるかも。」と姉がよく言いました。

「じゃあ、純が着てみろ。」と、父は言いましたが、

私は、「いやだ、いやだ。」と言って、絶対着ませんでした。一人である必要があるのです。

 

小学生のときから、家族が留守の時、

こっそり、母や姉の服を着ていたように、

それは、「こっそり」でなくてはならないのです。

 

 (純 高3夏)

 

 

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