護身術の講座の感想~ゆうひろばより


 私は武道はもとより、格闘技やスポーツ全般、苦手な方である。何がイヤかというと、小さな子どもに無茶な指導をしたり、“根性をたたきなおす”的な精神論が美しいとされているあの雰囲気が“NO”なのである。

 だから、女性が自分の身を守るために護身術を習う、ということにも若干の抵抗があった。女が男並みに強くなって自分の身を守らなければならないのか。それは、男女雇用機会均等法ができ、男女平等が進んだと思いきや、女も男のような働き方をしなければならなくなったというオチがついたのと同じではないか。

 そんな迷いの中、講師の湊谷さんにお話を伺って、目から鱗が落ちる思いだった。湊谷さんはこう断言された。「強いというのは闘わないことである。」闘わなくて済む武術だったら大歓迎である。

 大体、女性が身を守るための予防策として一般的に挙げられるものというのは、非現実的なものや信用できないものばかりである。「暗い夜道は一人で歩かない」―冬は4時には暗くなるこの北海道で、どんな生活をしろというのか。「露出した服装で歩かない」-これは神話である。被害者の多くは普通の格好をしている。逆にいうと犯人は大人しそうな女性を計画的に選んでいる。これらのような女性を不自由にするような予防策ではなく、自分の感覚や経験などから危険に気づき、回避することを目指す、そんな頼れる自分を意識することから始めたい、と思った。

 講座では、私たちが日ごろイメージする武術とはまったく異なるイメージに驚いた。武術に力は必要ないということを一貫して教えていただいた。女性の長刀(なぎなた)の試合の映像を見て、その気合や集中力に唖然としてしまった。また、型を覚え実際に体を動かしたが、集中力を保ちながら型を演じることが大変難しかった自分の”にここまで集中したのは初めての経験であった

 もちろん3回の講座だけで、危険回避の強さが身についたのかと言われると自信はない。しかし、最終回で他の参加者の方から「ojipoさんが先生の突きを払う準備をしたとき、顔つきが変わった。あの顔なら、どんな男も寄り付かないだろう」と褒めて(?)いただけた。

 今回のような武術は女性たちにぜひお勧めしたい。知らない男性だけではなく、自分を傷つけるような相手、暴力に対して、自分がどのようなスタンスでいるかを考える良い機会となるであろう。

少し前に、野田聖子議員の出産が話題になっていましたね。




私は議員だろうが、会社員だろうが、主婦だろうが、子どもを欲しいと思っている女性が、子供ができなくって不妊治療を受けることは賛成です。


金銭的にも、時間的にも、精神的にも辛い不妊治療の負担が小さくなれば、と願っています。




しかし一方で、子どもができない女性たちを不妊治療へ追いやるあらゆるプレッシャーに怒りを感じます。


不妊治療を受けたい人は受ければいいけど、受けたくない人は受けない自由があり、子どもを持たなくても何の後ろめたさを感じる必要はありません。




そう考えると、野田議員の執念ってなんだろうなって思います。


「子どもを生みたい」をいう強い気持ち。この正体はなんなんでしょう。


小さいころから「女として生まれたからは母親になるのが幸せ」とか、「子どもを生み育てて一人前」とかたくさんのメッセージを浴びて育った女子たちは、それを内面化しているでしょう。


「それってジェンダー!目を覚ましなさい!」というのは簡単。


でも、私たちはそんな社会の中で育ち、自分らしさを確立しています。その強い執念をあきらめなさい、とは言えないし、尊重したいと思います。




私は基本的に子どもが好きだし、人を育てる、という行為をとっても価値のある尊いことだと思います。


私もできることならしたい。


けれど、そういった機会がないのであれば、違う形で子育てに参加できれば、となんとなく思っています。


子どもを育てるのにお金がかかるのは当たり前だから、子ども手当てのための税金が上がるのはもちろん負担します。


養子というのが今の日本ではあまり現実的ではないけれど、大切な人と子どもができなくって、養子を育てるというのも私個人的な環境からいうとかなり理想的な選択肢なんですが…。


けれど、何がなんでも自分のお腹を痛めて生み育てたい、という気持ちがあんまり理解できなくって…。




理解はできませんが、尊重はできます。


野田議員の女性としての強い執念も尊重できます。


けれど議員としてその影響力などを考えるとイマイチ納得できない部分もあります。



アメリカで治療を受けるお金と時間、普通の人ならありません(議員だって時間は普通の人以上にないと思いますが。)
だから、簡単に、同じ不妊で悩む女性を勇気づけたとは言わない方がいいと思います。

また不妊治療にしても、養子の制度にしても、いろいろな法的な壁があって、それで野田さんは法的に可能な選択をしたのですが、でも立法府にいるあなたが法律変える方向で訴えなくってどうするの!?と思っちゃいます。


皆さん、どう思いますか?
(ご注意:ネタばれあります)

『飾り壼』のようなブルジョワ主婦が、夫に替わり工場を経営したり、政治的な力を手に入れたり、となかなかフェミな映画ではあります。

オゾン監督も、男女平等と思われる現代のフランスにおいて、フランス大統領選で、女性候補がバックラッシュに遭ったということが、本作品のきっかけと語ったそうです。

社長や政治家といった意思決定できる立場への参画もそうですが、性という点でもフェミな映画です。

浮気性な男と貞淑な妻というカタチも、見事に虚像だということが露呈します。

そしてもう一つのキーワードは「連帯」。娘が裏切って夫側に味方したとき、主人公は言います「女の連帯が壊れて悲しい」と。
そして決まって分断される関係とも言える、妻と愛人までもが連帯します。
主人公である妻は経営者として、そして同じ女として、愛人である秘書を信頼します。愛人も信頼を受けて、経営者である妻を支えます。それがコミカルに描かれていて、気持ちよいのです。
道新の記者による釧路の生活保護の新しい自立支援についてのルポ。

水際作戦や硫黄島作戦など、最近は生活保護に対する信じられない行政側の怠慢が報じられてばかりでしたが、釧路では血の通った暖かい支援が官民協働で行われているようです。

経済的支援だけでなく役割や居場所こそ必要なのだと思います。

釧路の事例に感心するとともに、生活保護の欠陥に憤りを感じてしまいます。丸裸にならないと支援を受けられない。ちょっとした支援で助かる人たちを丸裸にする制度ですもん。

ただいま私たちの職場では”情報”について揺れています。

男女共同参画に関する”情報提供コーナー”があるのですが、そこが活用されていないという指摘があり、改革プランがあがっているのです。

そこでいろいろな案が挙がったのですが、どの案も”情報”の重要さが忘れられているように私は感じました。

たとえば、人を集める楽しいイベントを行う、打ち合わせや読書会ができる場にする、…どれも面白いアイディアで、活用という点ではぜひトライすればいいと思います。

でも、それはやっぱり目先の工夫に過ぎなくって、なぜ情報を提供するのか、何をねらっているのかが、はっきりしていないように思ったのです。



私は個人的に、特にここ1年くらい、”情報”の大切さというのを痛感しています。

特にインターネットの力には本当にびっくりさせられています。

加工(編集)されていない情報を手に入れることができ、誰もが情報発信できる。

もちろん弊害や注意すべき点はたくさんありますが、それは個別に対応していけばいいこと。

インターネットの出現に私は大賛成です。

行政の”記者会見”というものがどういうものであるか、初めて知った方が多いのではないでしょうか。新聞やテレビがどのくらい編集しているのか、驚いた方も多いのではないでしょうか。


広島の秋葉市長の記者会見が話題になっています。

編集されたくない、きちんと本意を伝えたい、という意図からネットで配信したのは大賛成。

ただ、ネットが見れる人、リテラシーをもって使いこなせる人はそう多くはない。

そうのような状況の中ではなかなか理解されないのではないかと思います。

だからこそ、情報リテラシーをあげる施策というのは必ず必要だと思います。


ちょっと長くなってしまいましたが、私たちはやはり情報を能動的に選び取り、読み取る能力をもっていなければなりません。

そういった能力を得る教育を受けることももしかしたら国民の知る権利といえるかもしれません。

そういった意味で、私たちのセンターが単なる情報提供にとどまるのではなくって、市民の情報力を育てることというのは絶対必要なんだと思っています。