東日本大震災の大津波対策と防潮堤に思う | そそっぱい おじんつぁん

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多くの分野について、「あまり聞いたことがない考え方だが、なるほど 」と思われるような記事を少しづつ書いて行きたい。

今年の3月11日で東日本大震災から丸13年になる。

今年は正月早々に能登半島地震とそれに伴う大津波もあった。

 

10日の産経新聞に、東日本大震災の被災地で大津波対策に築いた高さ15メートル,長さ820メートルの防潮堤により海岸の景観がすっかり変わってしまったことを嘆く住民の声が載っていた。

 

私も同じような心配をして投稿した1年前のブログ記事を再アップして振り返ってみたい。

 

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思い出すと、12年前の東日本大震災による大津波の大被害を受けた被災地では、少なくとも当時、津波対策として巨大堤防の建設や住居地区の山の中腹への移転が強く叫ばれていた。

 

その後 それがどの程度実現したかは報道が少ないのでよく分からないが、私は 当時から そのような津波対策はどうみても問題が多いと思ってきた。

 

延々と巨大堤防を築けば、せっかくの景観が台無しになるし、海岸への出入りが極めて不便になる。

何より、莫大な土木工事の費用が掛かる。

 

人間は 便利だから平地に住んできた。それを高台に引っ越せば不便になるし、だいいち平地と同等の面積が確保できるのだろうか?

 

しかも、勤務先や学校などは平地にしか作れないはず。

そこに行っているときに高台に避難できるのか?

避難できるというなら平地に住んでも避難できることになる。

 

それで、当時から私は「避難タワーの建設が良いのではないか?」と強く思ってきた。

 

大津波の被災地でも、丈夫な建物は倒れないで済んでいる。

建物でなくても同じような強度を持つタワーの建設は難しくないだろう。

 

避難階を持つむき出しの鉄骨のやぐらだ。

根元は 補強のためにコンクリートによる頑丈な根巻きをする。

屋根は必要。高さは20mもあれば十分ではないか?

建物よりも建設費用は大幅に安いだろう。

 

津波は到達するのにある程度時間が掛るから、その間に歩いて避難できる距離、たとえば500m間隔で建設する。

奥に行くほど間隔を広げても良い。

 

2,30個の避難タワーを建設するのは、高台へ引っ越すよりも極めて容易なはずだ。

巨大堤防に比べても大幅に建設費用は安いし 景観もほとんど損なわないであろう。

 

避難タワーには、自家発電によるエレベータを設置するのが望ましいが、20m程度なら階段でも若者が老人を背負って登れるのではないか?

 

津波が引くまでの数時間の避難であろうから、ある程度の飲み水と非常食,毛布類および簡易トイレがあれば十分と思う。

 

ただし、この避難タワーによる津波対策には、大きな欠点があることを自覚しなければならない。

それは、たしかに人命は救えるにしても、大切な建物や田畑や道路などのインフラが守れないことだ。

 

これは、現に大津波の被害を受けた被災者たちにとっては、耐えられない状態なのだろう。

 

だから、東日本大震災の被災地の住民は、子孫のために大堤防を建設して人命だけでなく建物やインフラも守ろうとした。

「大津波による損害よりも、大堤防の建設費用のほうが 桁違いに安い 」という意見も説得力があったであろう。

 

その気持ちはよく分かる。

しかし、その考えを推し進めると、日本の海岸の全てに大堤防を築かなければならなくなる。

 

これは、あまりにも壮大すぎて残念ながら非現実的に思える。

上述のように、莫大な費用が掛かるし景観を損ねるなどの問題もある。

 

だから、先人もマスコミも気象庁も政府も「早く高台に逃げろ!」と言うだけで「大堤防を作れ」とは言わなかった。

 

つまり、「家や田畑は守れなくても 逃げて命だけでも守れることで仕方ない」というのが国民のコンセンサスだと言えよう。

 

避難タワーはそのコンセンサスに沿う対策と思うが、その上で 酷な言い方かも知れないが、逃げ遅れを100%防止するのは無理だと割り切るしかない。

 

残念ながら、それが天災というものだ。

日本人には 古来 諦観の心がある。私にはそれが美徳と思える。