想像もしなった戦後の経済大国化 | そそっぱい おじんつぁん

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多くの分野について、「あまり聞いたことがない考え方だが、なるほど 」と思われるような記事を少しづつ書いて行きたい。

日本のGDPは つい最近まで世界第3位だった。現在は 円安のせいと思うがドイツに抜かれて第4位という。

ところで、長らく2位だったのが中国に抜かれた時に 何か悔しい思いをしなかっただろうか?

 

しかし、私たち昭和の人間は、こんなに世界トップクラスの経済大国になるとは夢にも思っていなかった。

 

以前のブログで昭和の戦後間もない頃の貧しさを紹介したが、当時は誰もが もう少し良い生活をしたいと思っただけだ。

 

子供は、白いご飯を食べたい、お菓子を食べたい、小遣いが欲しい、おもちゃを買いたいと思った。

親にしても、子供たちにそうしてあげたいと思ったに違いない。

ささやかな望みだった。

 

それで、当時の大人たちは必死に働いた。

 

日本は戦後長らく貿易が赤字だった。

なにせ「たけのこ生活」と自嘲した時代からの出発だ。

 

子供の私たちには意味がよく分からなかったが、ラジオで今年も貿易赤字だと聞いてがっかりしたことを覚えている。

そのうち、貿易収支は赤字だが貿易外収支を加えて少し黒字になったとか何とかで、子供心にも嬉しい気がした。

 

その後、「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」と徐々に景気が上向きになり、途中で「鍋底景気」もあったが、バブル景気へと進んだ。

 

それらは、会社やお店が、他社や他のお店との激烈な競争の中で必死に知恵を出し、従業員も一生懸命に働いて、品物やサービスの質を上げて行ったおかげだ。

 

そして、忘れてならないのは、そこに日本特有の超厳しい消費者とくに主婦の目があったことだ。

 

日本の主婦は露骨に文句を言わないが、質の悪い商品は黙って買うのをやめるし、サービスの悪いお店には黙って行くのをやめる。

だから 会社やお店は、その目にかなうべく必死に努力するしかない。

 

ヨーロッパでは日本人観光客は「妖精」とささやかれているらしい。

商品の質やサービスの悪いお店には、日本人は文句を言わずに 妖精のように黙って静かに去り 二度と戻って来ないからだそうだ。

 

MIT著作の「Made in America」だったと思うが、日本の製品の競争力は他国との競争による結果ではなく、日本の中での激烈な競争の賜物だと言っていた。

 

戦後間もない昭和の頃は、日本が世界のトップクラスの経済力に躍り出ようなどとは誰も考えていなかった。望んだこともなかった。

世界トップクラスの経済大国になったと聞いて 何かしらキョトンとしたものだ。

つまり、気付いてみたら勝手に国際競争力がついていたということだ。

 

最近の外国人観光客の日本人気も同じ たぐいだろう。

むかしから日本各地は 観光客を集めるために必死に工夫し努力して来た。

でも、それは無意識のうちに同じ日本人を相手にしたものであって、決して外国人観光客を集めるつもりではなかった。

 

正直言って、私も若い頃は、日本はみすぼらしい国で外国人が観光に来るような国ではなかろうと思っていた。

ましてや 以前のブログで述べたように 日本文化がこれほど外国から評価されるとは思ってもみなかった。

 

 

そうは言うものの、冷静に振り返ってみれば、日本がこれほど経済大国になれたのは、当時の政府の政策に驚くほどの先見性があり、そしてそれに国際的な幸運が重なった結果だとも思う。

 

所得倍増計画をはじめとして色々な政策があったが、とくに思い起こすのは 当時の通産省が主導した製造業の育成政策だ。

 

現在の日本の自動車メーカーや家電メーカーや鉄鋼メーカーなどの製造業の国際的な大企業は、それぞれ数社から10社近くもあり 極めて多い。。

戦後間もない何もない時期にメーカーを育てようとしたら、せいぜい2,3社に絞って共倒れを防ぎながら育成するのが普通の感覚だろう。

韓国が良い例だ。

それを、そんなに多くのメーカーを育成し、しかもそれら全てが立派なグローバル企業に育って今も活躍している。奇跡だ。

当時の通産省をはじめとする省庁のエリート官僚の確固たる信念と先見の明に感心する。

 

国際的な幸運といえば、朝鮮戦争に伴うアメリカ軍からの朝鮮特需が目立つが、GHQつまりは実質アメリカの占領政策や対日援助も大きかったと思う。

 

アメリカは、日本に対して 原爆投下や東京大空襲のような極めて非道で国際法違反の戦争犯罪を犯したし、戦後は日本国憲法の押付けやウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムといった極めて悪意のある占領政策も行った。

その弊害は いまだに続いていて日本を苦しめている。

それを思うと私も はらわたが煮えくり返る。

 

でも他方、アメリカ主導で 有償無償の基金援助や世界銀行からの借款,各種の技術移転,日本の構造改革の手助けをしてくれた。

アメリカの本音が何であれ、それらが日本の戦後の復興に大きく寄与したのも事実だ。

 

私の実家は小作農家だったが、戦後の農地改革で自作農家になれたことを おやじは感謝していた。

 

戦後の日本が 敵国だったアメリカと同盟を結び 親米になったのを外国人は驚くが、非道への恨みを持ちつつも トータルとして支援への感謝の念が勝っているからだろう。

 

もしも、アメリカでなく ソ連や中国に日本が占領されていたらどうなっていたか?を想像するだけでも身の毛がよだつ。

日本国民は、そのことを十分に理解しているのだと思う。