昔は都があったとミヤコグサ | 気儘な散策人のブログ

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運転免許の高齢者講習を受ける年代になりましたが、日々
の散策で見聞きしたことをアップしていきたいと思います。

昔むかしの話しが残っていそうな里山にやって来ました。雉

の叫び声が聞こえ、小川のせせらぎが聞こえる、そんな場所

にやって来ました。今の子供は昔話なんてものを、お母さん

やお婆さんから聞いたことはないんでしょうね。昔はそんな

話が上手な友達の家でお婆さんの話しに聞き入っていたもの

なんですがね。今じゃ遠いとおい昔の事になるんですかね。

そんな昔話を、知っている人もいなくなったんでしょうね。

 

①昔は栄えた加茂盆地

↓自然がいっぱいの、京都は木津川市の加茂町にやって来

ました。

 

 

↓ここは、前も後も山です。

 

 

↓そして、右も左も山です、いわゆる盆地です。ここを加

茂盆地と言うようです。

 

 

②昔は都があったとミヤコグサ

↓道端には、ミヤコグサが沢山咲いていました。

 

 

↓ミヤコグサの言うことには、昔のむかし、この近くに恭

仁京と言う都があったというのです。

 

 

↓その都は直ぐに廃れ、幻の都と呼ばれるようになったと

言うのです。その都の跡は山城国分寺となったとも言うの

です。

 

 

↓そして和同開珎と言う、お金もこの近くで造られていた

と言うのです。そうか、今で言う大蔵省的なお役所があっ

たのか~

 

 

↓そしてこの近くには、残念石と呼ばれる石材が散らばっ

てもいると言うのです。藤堂高虎が大坂城の復興用に切り

出した石材なのに、大坂城に運ばれなかった石材が点在し

ていると言うのです。

 

 

↓これは最近の事らしいのですが、大仏鉄道と呼ばれる鉄

道がこの近くを走っていたことがあるというのです。京都

の加茂町と奈良の大仏駅の区間を走っていたようです。資

料も少なく、運行時期も短かったので、今では幻の鉄道と

呼ばれていると言うのです。

 

 

↓最近は、この廃線を巡る旅が流行っているようです。私

も一応は歩いてみました。小刻みに部分的に知られた所だ

けを歩いてみました。鉄道跡はひっそりとして哀愁が漂う

ばかりでした。ちょっと寂しいかも~