新しい年が又、静かに始まりました。
”夢”の一つ一つを叶えながら過ごせたら幸せと思います。

今年は介護中心の年になりそうな予感がしますが、
山歩き、旅行・・・・その他、好きなことを続け幸せな時を過ごせればと思います。
2015年 新春
新しい年が又、静かに始まりました。
”夢”の一つ一つを叶えながら過ごせたら幸せと思います。

今年は介護中心の年になりそうな予感がしますが、
山歩き、旅行・・・・その他、好きなことを続け幸せな時を過ごせればと思います。
2015年 新春
ハハ様の入院や体調不良にあたふたしている間に季節はすっかり冬になってしまった。
例年より早く多い雪に雪国の交通は麻痺している。雪の多い地方は大変なことだろう。
さいたま市は雪は余り降らないし天災も少ないから良いところなのかも知れない。
11月、そろそろ冬支度もとシンビジュームを見ると花芽がついていた。
ピンクの可愛い花が咲くはず。ワクワク(^^♪
デンドロビュームも毎年立派な花を咲かせる。
我が家とランは相性が良いのかも知れない。

去年、友人から頂いたデンマークカクタスにもたくさんの花芽が咲いていた。
11月末ころから咲きだし満開に。
花芽がしぼみ始めたので花がら摘みをした。また、花芽がつくとうれしいなぁ~~。

今年、たくさん花が咲いて喜ばしてくれた胡蝶蘭。
自宅は木造で安普請でもあり、ちっち猫の出入りで温度が保ちにくい。
ニィニィの部屋へ全部移したので花芽がたくさんつけると嬉しいなぁ~~。
すでに3つくらい花芽が伸びてきているし、花芽かな?と思われる小さなふくらみも見られた。
もし、これらが花芽だったら来年の5月末ころに花が咲くはずだ。

ミュンヘンに住む友達の来日に合わせて、ミニクラス会で再会するはずだったが、ハハ様退院の日と重なり、
せめて夕食だけでもと思ったが、私の体調も悪く出席できなかったのは残念だった。
鎌倉の散策や東京駅のイルミネーション、そして会食と楽しそうな画像を送ってきてくれたが、その写真を見ているとたまらなく悔やまれる。
先生や友人から暖かい介護へのエールを頂いて、なおさら胸が詰まった。みんなありがとう。
友人のHさんがいつも言うこと、
『あなたの愛情でお母さんはこれからも生き続けるでしょう。そしてあなたはボロボロになってしまう・・・・。潰れないようにあなたも気分転換しなくてはだめ。』
この言葉、当たっている。彼女の忠告通りハハ様のショートの時は、どこかに出かけるようにしている。
いつも厳しい言葉を投げかけてくれたり、的を得た言葉で私を慰めてくれる友人。彼女は今、大変な病に倒れてしまった。
細くなった彼女とも通院の日にあわせて会うことができたけど・・・・私の胸は痛いくらい不安です。あなたの存在の大きさを今更ながら思います。
小学校からずっと同じ学校に通った親友のSさんにも会ううことが出来た。彼女と会ったとき、難しい言葉はいらない。幼馴染って会って笑って・・・それでもいい。
学生時代のように屈託なく丸一日を過ごすことができたのは嬉しかった。ありがとう幼馴染。
何故か毎年、この時期に会ってお話をするIさんとも会うことが出来た。すがすがしい会話にいつも励まされる私。今年も元気であえて本当に良かった。
彼女の写真を撮った。今回は私に合わせてさいたま市に出てきてくれた。ありがとう。

そしてK子さんも突然、家に来てくれた。彼女はふた親の介護を終えた人。ハハ様との関わり方をいつもアドバイスをしてくれる。
いつも陽気でユニークな思考を彼女から頂く。そして生活の知恵も。ありがとう。
J子さん、Yさんともフラメンコのを聞きに行って会うことが出来た。J子さんからオーストラリアに行ったお土産に可愛いブレスレットを頂いた。
J子さんも介護真っ最中だけど明るい。Yさんもいつもおおらかで優しさを頂いている。ありがとう。
Iちゃんはどうしているかしらと働いている職場をのぞいてみた。ちょうどランチタイムで1時間だったけどラーメンを食べながら話が出来た。
彼女は私の妹みたいに接してくれる。時に厳しく時に甘えて・・・・・ありがとう。
自治会のお手いをしているMさんも、ハハ様の件で家に来てくれて、和歌山県の親戚からミカンが届いたからと来て、少し話が出来た。
何かと我が家を心配してくれるMさん、とても心強いです。ありがとう。
犬友のIさんにも、偶然に会ってその後、わんこと一緒に家に来てくれ話をすることができた。
私の友達でもあったご主人様が亡くなってからしばらくは元気がなかったけど・・・・・今では単身生活を楽しんでいるくらいの元気さでいつも励まされます。ありがとう。
この時期、会いたい人がまだ沢山いる。日常の事で忙しい。皆も同じだと思う。私の会いたい気持ちが通じて偶然に会えることもあるから不思議。
会えなかった人には年賀状という手もあるね。そうは言ってもまだ年賀状にも手をつけていません。
会いたくても会えない友に・・・・・元気で新しい年を迎えてください。
12月も半分が過ぎてこの1年を振り返る。ハハ様の介護をする立場にいるけれど何とか潰れないように頑張れたと思う。好きな山歩きを定期的に入れていたからこそ、頑張れたと思う。
なんといっても最高の思い出では九州の山 九重の山歩き だと思う。九州在住のPパパさんに前から誘われていたのをきっかけに九州の山歩きを決めたのは半年以上前の事だ。
全ての予約が完了して、出発の日を心待ちにして九州の山の様子をネットで調べていたころ、ハハ様が骨折。一時は九州行も中止しなければならないかと心配したが・・・・・・なんて、幸運 願うとおりに事が運び九州の山歩きを完了することが出来た。
願えば夢はかなう 私のいつも思うことが遂行できた瞬間だった。
10月末に行った九州旅行だが、ハハ様の件で更新ままならず遅ればせながら年内に何とかアップできた。💦💦
九州旅行(詳細は夫々をクリック)
羽田を昼過ぎに飛んだ。市内ホテルに一泊して市内観光をした。
初めての街はワクワク気分。夜遅くまで楽しく過ごした。
この旅行のメインは久住山。春はつつじ、秋は紅葉。
変化のある美しい風景を眺めながらの山歩きは楽しかった。
湧き水や苔むした森の中の不思議な木。
名前も私好みの吊橋。
湯布院から見える由布岳。この山歩きは予定外行動。
ロシアでは大変なことが起きている。原油の値下がりで天然ガスなどの資源価格の下落が止まらない。
資源で自国を賄っているロシアにとって資源価格の値下がりは答えるだろうとウクライナ問題の制裁の一つで西側がロシアに対して行っている嫌がらせの一つだと言われている。
ルーブルの下落が止まらず1日で20%も通貨暴落もしたらしい。下落の止まらないルーブルを外貨(ユーロ)に交換しようと銀行に殺到しているらしい。
去年、ロシアに行った時、現地の案内人が言っていた。
『私たちは貨幣に信頼をおいていません。何度も貨幣に裏切られた歴史があるからです。だから給与は全部使い、私たちは預貯金は余りしません。』
プーチンさんはこの現状は国内の要因から発したものではなく、海外が原因で起きていることで平常に戻るのには2,3年かかるから辛抱してと演説をしたらしい。
ロシア人はこういう時にはウオッカを飲みダーチャ(郊外の農園)で自給自足で危機を乗り越える能力がある。国全体が耐えることに慣れているのだ。
慣れていると言ってもロシア人の男性の寿命は短命だからやはり相当のストレスはあるに違いない。
日本ではアベノミクスとかでお札をどんどん印刷するものだから海外の通貨に対して価値が下がり円安になってきている。
3年位前には1ドルが80円を割ったこともあり、円高で輸出企業は利益を出すのに苦労しただろうけど海外旅行では円の価値が発揮できた。
今は1ドル120円近くになり、外人が日本に来やすくなっている。反面、日本人は海外が遠のいてしまったような気分。
3年位前に外貨預金を80万円した人は120万円くらいになっているはず。この10倍の800万円だったら1200万円。
円預金だけしていた人は気付かないかもしれないけど目減りしていることになる。
更に円安は進むと言われるけど本当だろうか?日本人はロシア人のように耐える力があるだろうか?
長いようだけど実は短いのが人生でその人生に誰しも転換期っていうものもあるらしい。
ハハ様の入院中に聞いた話です。いつも入院中の奥様を見舞いにやってくる80歳を迎えるという方。
大企業で働き順調に定年を迎え、その後、第二の人生を送るために関連会社に再就職をしたのが60歳。退職金や年金などにも恵まれ、さらに年金に加え給与までも支給される身分に落ち着いた。
役席として迎えられた第二の職場で脳梗塞で倒れたのは62歳の時、医師からはあきらめてくださいと言われ家族は言われて葬式の準備までしたそうだ。
運よく、命拾いした彼は仕事を辞めた。年金も夫婦、合わせると70万円くらいあったから何とかなると思っていた。
夫婦で海外旅行や国内旅行を楽しみ、この生活がずっと続くものと思っていたとか。
脳梗塞に倒れた後、すぐに奥様が病気になった。それも難病で入退院や手術を繰り返した。奥様が入院、手術をするごとに月に50万円~70万円かかり、預貯金が目減りしていった。
バブルもはじけた後、年金も少しずつ減っていき、今では40万円くらいになってしまったとか。生活が苦しくなってきたので家を売却することも考えていると言う。
私、『えっ!!』耳を疑った。年金が月に40万円あれば十分でしょう・・・・・。
詳しく聞くと、若い頃に作った土地と家の固定資産税がとても負担になってきているとか。
そういえば、私の友達も言っていた。彼も親から受け継いだ不動産があり、その固定資産税を払うと年金がほとんどなくなると言っていた。彼は敷地にアパートも建てているから10件分の家賃収入があるので生活が出来るのだ。
病院で話をした高齢者は年金だけでほかの収入もないとか。
傍目には大きな家に住み恵まれている生活をしているように見えてもかなり生活が逼迫している人もいることを知った。
彼は自分が病気になった時が人生の転換期だったとしみじみと言った。まさか、時代がここまで変わることを予想出来なかったと。
金銭的に恵まれた自分の人生がずっと続くものと思いこんでいたのが悪かったと言う。
彼は今住んでいる土地や家を売れば○億円くらいの収入があるはず。そうすれば病院で会った老夫婦はゆったりと老後を暮らせると思う。だけど・・・長年、住み慣れた家を手放すのには相当の決心がいるはず。恵まれているとはいえ、ある意味で老後破たんなのかも知れないと思う日だった。
ハハ様の入院中に介護認定調査があった。ケアマと介護認定士、そして私が見守る中、入院中の病院の中で調査が行われた。約3週間くらいの後に届いた結果は
要介護5 最高(最悪?)の判定だ。
今までの要介護2では受けることのできないサービス等を案内する通知も届いた。
○ おむつの支給
○ 理容、美容の利用券支給
○ 1ヶ月あたり1万円の支給
などが、ハハ様には受ける資格を得ることが出来ることになった。
このような福祉サービスは区役所に行き、申請書を提出することで得られた。
福祉は求めて与えられるもの・・・・待っているだけではだめなのだ。
こういう時にいつも思うのだが、独居老人は誰かの援助を受けなくては権利も行使することが出来ないではないか・・・・・介護認定士に来てもらった段階でこういったサービスが必要かどうかは判断できるはずだと思うのだが。
介護保険を支払いながらも(年金からいやおうなしに差し引かれる)、介護認定さえも受けない高齢者だっているような気がする。又、介護のサービスを受けられることは知りつつも1割負担の介護料金を支払うのが困難で介護サービスを受けない高齢者だっているような気がする。
老後破綻・・・・以前、番組で見た高齢者の現実。生活保護家庭は月、約13万円の支給があると聞いているが、生保(生活保護)を受けている金額より少ない年金で生活している高齢者も多いと聞いている。
私たち団塊の世代が一斉に介護サービスを受けるような時を迎えるのも10年から15年後だと思う。その頃の日本は一体どうなっているのだろう?
個人の老後破綻だけでなく国家の破綻もあるかもしれないと噂が流れる昨今、長生きは必ずしも幸せではないような気がする。
2014年12月5日
土山~物見山~和田山~宮沢湖
ハハ様がショートステイに出かけているとき、気分転換に山に行った。
余りにお天気が良かったし・・・・・・・・落ち込む気分をリフレッシュするために。
武蔵横手駅下車
10:00 歩き始める

渓流沿いの山道を歩き。今の季節にはちょっと肌寒い感じだけどまずまず。
10:45 五常の滝へ 小さいけど形がいい。

北向き地蔵

流行していた病を伏せるために作られたお地蔵さん。

切通の山道を歩いていき
12:30 物見山着
山頂ではたくさんの人がランチタイムを過ごしていた。私たちはここから下り、もう少し歩く。

風景のよい場所でランチ。

オットット様が、お汁粉を作ってくれた。
14:00 日和田山に着く。
彼岸花の畑、巾着田を日和田さんから眺め、下る。
13:00 巾着田着


ここから宮沢湖に歩く。後一時間かかるはずだけど冬の山の夕ぐれは早い。暗くなる前に宮沢湖に着きたい。
15:45 宮沢湖着
何とか陽が沈むまでに宮沢湖に到着できた。1時間かかるところ40分で歩いたことになる。陽の沈む瞬間をとらえることが出来た。

きらりの湯
ここの温泉、気に入っています。特に露天風呂が。
飯能駅まで行くバスを待つ間、満月がきれいに眺められた。

10時から4時まで、休憩時間を除くと約5時間。最後の宮沢湖まではかなり早く歩いたけど外は楽々歩き。楽しかった。温泉もゆったり入ることが出来、のびのびした。
又、がんばれそ~~~~だ。
こちらが希望するリハビリ病院へ転院することも老健という施設入所も出来なかったハハ様を、自宅に引き取ることになった。
20日にケアマに報告すると早速、介護ベッドと車いすの手配をしてくれて退院の前日の22日に搬入があり、23日ハハ様の退院ということになった。

帰宅してほぼ1週間が過ぎたころ、歩けないハハ様が夜中に玄関に立っていた。
その後もベッドわきに座り込んでいたり、台所に立っていたり・・・・・何回も夜中に起きている。
一人では立てず、車いすを使っているハハ様があるくぅ~~~~?????

夜中に起きて転んだら~~~全身、骨粗しょう症だから骨折してしまう。私もゆっくり睡眠がとれなくなってしまった。老々介護の身では睡眠不足がとてもこたえる。2,3日そういうことが続くと私の体は最悪な状態になってくる。
骨折して手術をしたことを言っても、本人はそれを否定するし、危なげに歩行して、又転倒でもしたら・・・・・。本人はそういうことはないと言い切る。入院中の写真を見せても自分でないと言う。
そして、しまいには、
『そうやってあんたは嘘ばかり言って作りごとばかり。私をどれだけいびったら気が済むのか。』あぁ~~~悲しいかな、被害妄想。
そんな中、通所サービスも12月から開始することになった。
12月1日
オットット様と二人でデイに無事に送り出してホッとした。帰宅したとき、左目のあたりに大きな青あざが。何処かにぶつけたのだろう。
12月2日
ショートステイも開始することになった。
3日の朝、ハハ様の状態を確認したくてあず〇苑に電話をしたところ、入浴中に痙攣があり意識が朦朧としてきた。病院へ連れて行こうか自宅に帰そうかと尋ねられる。
これを聞いて驚いた。痙攣や朦朧と・・・・??? ただ事ではない。自宅へなんてとんでもない病院でしょうが。
再度、救急車のお世話になり施設から埼玉メディカルセンターに搬送されることになった。
病院ではハハ様の目のあたりのあざについて問われ、頭の検査をすることになった。その時、私が気がかりなこと。ハハ様の便秘についても医師に伝えた。
台車に載せられてあちこちの検査室に運ばれて行くハハ様。ぐったりとして重病人に見えた。
結局のところ、打った頭については出血もなく問題なかったが、便秘のために尿道が圧迫されて出にくくなったため・・・・。処置され元気を取り戻したハハ様は、看護師や医師に向かって言った言葉。
『この人たちは私を殺そうとしている。こういうことは初めてだ。ここにいたら殺されてしまう。』そういいながら車いすから手を伸ばし、医師の白衣を掴み恨むような目でにらんでいる。
私、申し訳なくて頭を下げてばかりでした。あたりに立ち込める臭気にも、申し訳なくてハハ様を処置してくれた病院の医師たちに感謝です。
ハハ様のショート2日目は朝から病院へ夕方には又、施設に戻りました。
私たちの1日も病院に詰めることで終了しました。
大したことなくハハ様は元気を取り戻しましたが、
あぁ~~~ため息!!
大たい骨骨折のために手術をしたハハ様は、2~3週間でリハビリ病院への転院を勧められていた。近くの病院への希望を出したが・・意外にも拒否された。
はっきりとは理由を言われないが、医療ソーシャルワーカーの話によるとハハ様の認知度が進んでいるかららしい。又、第二希望も思うような回答がないまま1か月近くたってしまった。
受け入れ可能な病院は、電車やバスを乗り継いでいく場所にあって運転のできない私にとっては受け入れがたい。それに、社会復帰する人間ならリハビリも一生懸命にする必要があるけれど95歳にもなる高齢者にとっては如何なものだろう。
結果、病院とは違う施設を選びたいと思うようになってきた。候補の施設を見学に行き申し込みをした。
そして、入所のための審査があった。
入院している病室に着替えなど一式と車いすを持って9時に行き、ハハ様の外出の支度をして出た。着替えをしたハハ様は病院内で見るよりずっと健康的に見えるけど、痩せてしまい4,5日前の体重測定では28kg、看護師が何度も測りなおすくらい細くなってしまった。1か月半のあいだに4kgも減ってしまったことになる。
介護士や栄養士、調理師などの入居した場合についての質問に答え、医師との面談。
ハハ様が使用しているクスリが多いので、入所を断るかもしれませんとの意外な事を受付の女性から言われていた。認知症と診断された8年前から、少しずつクスリが増えていき、減ることがなかった。
その後、降圧剤、利尿剤、胃腸薬、精神安定剤、カリウム剤・・・・増えている。
その薬が入所を断られる理由になるなんて考えもしなかった。ガ~~~ン!!
医師の面接では、いきなり
薬代、沢山支払ってますね。負担が重くはありませんか?
言葉にならない私。
私、『それでも、医者が出してくれるクスリをこちらで断るわけにいかないし・・・・・』
医師、『負担ではありませんか?』
私、『一割負担だから・・・・・助かってますが。』
医師『十割だったらその10倍ですよね。1か月4万円からかかるのですよ。』
要するに介護施設では、健康保険が適用されないので4万円からの薬代を負担するわけには行かないとのことらしい。
私、『薬を余り飲ませたくないと思うけれど、具合が悪くなったりしたら困ると思い、こちらからは断れませんが・・・・・・』
医師、『そうですよね。そうやって開業医は薬を出し続けるでしょう。』
私は医師からこのように言われるとは想像しなかったので唖然としてしまった。
夕方、携帯に電話があった。申し込んだ施設からだった。ハハ様の入居は審査は通ったけど部屋が空くまで待つとのこと。待つ期間は言えないとのこと。もしかしてこれは体のよいお断りなのかもしれない。
入院中の病院からも転院を迫られているし・・・・・とうとう介護難民????
ブログもなかなか更新できない日々が続いている。ハハ様の転院先を探すのに難儀している。
病院から紹介された近くのリハビリ病院からもハハ様の認知症のせいか拒否された状態だ。まさか、この病院から拒否されるなんて考えてもいなかった。その病院は寝たきり状態の老人が多くて有名なのに。
ある友達が教えてくれた。病院ではなくて老健と言う施設。入院病院から自宅に帰るまでの間、元の生活に戻れるまで短期的に預かってくれる施設だそう。病院と違うのは治療などはしない点。
友達に教えられて早速、相談に行ってみた。
今のハハ様の状態、ネット友達のPパパさん宛に送ったメールで失礼!!
Pパパさん今晩は。
”夢”の九州 九重の山歩きが実現して、現在、達成感から放心状態と言うか・・・・・・。
写真を見ながら楽しかった山歩きの思い出にふけっております。
その節は本当にありがとうございました。
母が入院して以来、ほとんど毎日、昼と夜の食事の介助に行っています。
九州に行っている間、妹が来て代わりをしてくれていました。毎日、会っているとちょっとした変化にも気付かないのでしょうが、
5日ぶりに見た母は顔つきまではっきりと認知症が進んでいる様子でガックリでした。
私の事も分からない日があります。
日赤病院からは手術後、2~3週間でリハビリ病院に転院するように言われていましたので、いくつかある病院の中から家族で検討して選んだ病院から残念なことに拒否されました。
そんなわけで次の候補を探すべく努力が始まりましたが、第二候補もよい返事をもらません。
唯一受け入れてくれる病院は遠方で電車やバスを乗り継いで行くような場所で、現在のようには通いきれません。
病院側やケアマ、医療福祉の担当の人などとお話をして、老健という施設のお世話になろうかと思っています。
その施設の様子を見に行ったり面談をしたり・・・・その結果をケアマに相談したり。
まぁ~介護ってこういうことも大変なことだと実感です。
私は専業主婦ですが仕事を持っていたら・・・・何かが犠牲になるでしょうね。
昨日、医者から書いてもらった書類を持って申し込みをして来ました。
来週の火曜日に母を連れてその、老健に出向く予定です。
母と面談をして審査して受け入れを決めるそうです。
そこで拒否されたら・・・・・介護難民???? 家に引き取ろうかとも考えています。
今日も子供のように帰りたいと泣かれ、自分の骨折や手術のことは全く認識していません。(-_-;)
こんなわけで新しい場所が決まるまで落ち着かない状態です。
ブログもアップしたいのですが、老老介護の身ですのでいたわりたいと思い休んでいます。
どうぞ、お許しくださいね。
母の受け入れ先が決まれば落ち着いた日々が戻ってくるような気がします。
Pママさんにもどうぞよろしくお伝えください。