2015年6月7日

朝、6時 さいたま出発

2015年6月7日  天気 晴れ

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9:30

登山口駐車場から登山開始

山の神をまつる小さな神社があった。

峰の茶屋跡の避難小屋が見える。今日はあそこまで行ければOKのつもりで歩いた。

天気は上々。もうすぐ梅雨入りを控え、この上ない天気に押され先へ、行けるところまで行ってみよう。

 

 

高山植物のイワカガミ。夏山に向かい山は楽しく美しくなっていく。

 

10:30

峰の茶屋跡 避難小屋 着

ここは茶臼岳と朝日岳の分岐点。ここで小休止。この辺りは天候が荒れると強烈な風が吹く。12年前の5月は残雪があって朝日岳方面へ行く道は雪渓の尾根をこわごわと歩いた。

駐車場は満杯だったから今日は登山者も多い。にぎわう避難小屋あたり。

 

この山の向こうに朝日岳があるはず。雲の中に隠れて山頂は見えない。行こうか迷う。腰はかがむと痛いけど歩くのは支障がないみたいだ。こんな青空を見ていたら進むきゃないと決断。

10:45 避難小屋出発。

 

岩がゴロゴロと転がる山道。途中、崖を巻く道をにへばりつき歩く処がある。前回はそこでリタイアしたのだ。カメラとストックをリュックに入れて両手がしっかり使えるように歩行。残念ながら撮影の余裕もなかったわ。💦

今回は何とかクリアできて進めた。小学1年生の可愛い女の子も登っていたから励まされた。子供の方がずっと身軽だけどね。

 

11:45 朝日岳山頂。

 

 

ランチ休憩をとりながら撮影。雲が出てきて下界が見えない。尖っている山のずっと向こうに避難小屋があるはず。

あの辺りの崖を巻く登山道が極端に狭く、鎖を頼りに壁にへばりつく様に歩いた。下を見下ろすと、とても怖かった。

上昇気流で雲が湧き上がりどんどん雲が増えてきている。

 

12:30 下山開始 ピストンで避難小屋に向かう。後ろを見上げると朝日岳山頂は雲の中で見えない。

ここから又、例の崖が待っている。行きは夢中で登ったけれど、下山するときは下が見えるから、なお、怖いかも~~~~と思ったが案外と大丈夫だった。何事も同様だけど知らない恐怖が一番、怖いのかも。一度、経験すると恐怖心もなくなるのかもしれない。

 

避難小屋が見えてきた。

 

13:00 避難小屋着。

12年前は朝日岳ももう少しで山頂だったのだ。それにしてもわんこも良く歩いたと思う。あの時は茶臼岳にも向かった。

まだまだお天気は続きそうだから・・・・そうだ、茶臼岳も行けるところまで行こう。

13:10 避難小屋 出発

 

はるか下に避難小屋が見える。

この近く硫黄の匂いがする。岩肌からは白い湯気が湧き上がっているし、この頃、日本全体の火山活動が活発になってきていることをふと思う。

 

茶臼岳のお釜。ずっと以前、ここから噴火が起きた跡。河口には水はなかった。

火口を左手に見ながらお鉢めぐりをして山頂へ向かう。

 

2:00 茶臼岳 山頂着 思わず万歳の手が挙がる。

 

登山口から何回かこの若者たち3人に出会った。足の速い若者たちはいつも私たちを追い越し先で休憩をとっている。何回も挨拶をしているうちに顔馴染になって話をした。全員、32歳。独身。私たち夫婦で登山が出来るのを羨ましがっていた。シニアになった今、二人で山歩きが出来る幸せに感謝した。

山歩きをしながらいくつかの可愛い花に目が留まった。この花は?ドウダンツツジに似ているようだがちょっと違うようでもある。

15:50 駐車場着。満杯だった車も下山して私たちの青い愛車(駐車場所がなくて出口近くの道に駐車)がポツンと。

 朝日岳、茶臼岳、2山頂に立つことが出来た幸せに感謝、又、頑張れそう!!

 


 

登山後記

腰痛もあったので那須にしようか尾瀬にしようかずいぶん迷った。それにハハ様が又、発熱したり、立てなくなったりで今回の旅行はムリかもしれないと計画も思うように立てられなかった。

那須だったら直前予約で宿泊できるホテルがあるので便利と思い温泉に入るつもりで計画した。結局、12年前の朝日岳のリベンジまで出来て嬉しかった。これで山歩きの幸せホルモンの効果はしばらく続くと思う。

下山するときに同じくらいの年齢のおじさん。私たちに声かけてきて、避難小屋から一緒に下山した。道々の会話で夫婦で同じ趣味を持つ私たちを羨ましがっていた。山頂で会話した若者も、すぐ私たちに追いつき会話に参加。こんなに羨ましがられて・・・・ちょっと照れる。

私の体力にオットット様が合わせてくれているのが良く分かるので、『私が足を引っ張るから・・・・オットは山歩きを楽しめないと思うし迷惑がっているかも・・・・。』と言ったら、おじさんや若者は私の言葉を否定してそんなわけないでしょうと言う。

オットット様は何も言わないで笑っているだけ。知り合って45年以上たつ私たちだけど自分の心情や本音を語らないオットット様はどう思っているのだろうかといつも思う。

 

 

 

 

 

天気が良かったので、日焼け止め、サングラスなど必要だった。夫は半そでで真っ黒に。長袖でも暑くなかった。セカンドバッグが邪魔にもなったのでなるべく両手は空けておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関東地方が梅雨入り宣言される前の山歩きをして来ました。

 

小屋の左側に行くと茶臼岳、右側は朝日岳。

11年前の5月わんこのひかると一緒に、ここへ来て朝日岳山頂近くでリタイアしたことがあった。

今回も前々日に突然の腰痛で山歩きが出来るか不安だったけど・・・・・強引に何とかリベンジ成功!!

梅雨入り直前の晴天に晴れ女全開を確信する山歩きでした。

 又、頑張れそう \(^o^)/

 

わんこのひかるは頑張りましたが、残雪と急な崖が私は怖くてもう少しで山頂だったはずなのにリタイア。

いつかきっと、朝日岳山頂に登るという私の “ 夢 ”がかなった瞬間でした。

 

12年前の山歩き

 

 

 

 

先週の月曜日、ハハ様がショートから帰宅した。

元気で出かけて行ったのに発熱、そして足腰が痛いとのこと。(家でいるときは体調も良くて帰るといつも病人だ。立ちあがった時によろけて転んでしまったとか。おぃおぃ、私一人で看ているけど転ばしたことは一度もないのに~~~しっかり看てほしいと内心思う。)

余り痛がるので医者に連れて行きたくても嫌がるハハ様を私、一人で連れて行くのはとてもムリ。

熱は多分、感染症だと思うが足の痛みは????又も骨折? 去年の大腿骨の骨折の時と同じような状態に感じる。悪夢がよぎる。

あの時は痛くて悲鳴を上げるハハ様を何回も医者に連れまわしたような結果で、骨折が判明するまで1週間もかかってしまった。

 

熱は何とか抗生剤を医者からもらってきて落ち着いた。(足の痛みはひどいけど内科医だから医者には言わない。きっと連れて来るように言われるからネ。前回、血液検査やら検査をしたけど骨折は解らなかった。血液検査で骨折も分かると先生は言ったのにねぇ~~。)

今朝なんか、ベッドに上がれない。両足が踏ん張れなくて立ち上がるのも一人ではムリ。私が手と方と腰を貸しやっとこさハハ様をベッドに。小さくて軽いけど36kgある体重を持ち上げることはかなり大変。

ギック!!私の左側の腰から音がしたように感じて痛みが走った。これがぎっくり腰か。そのあと痛くって痛くって・・・・・こういうのは初めて。

二人で悲鳴を上げていてオットット様に助けてもらった。65歳の再々雇用で働き方が楽になり、家にいることも多くて本当に助かる。

まぁ~何とか私の方は落ち着いきハハ様を日赤に連れて行き、見てもらうことにした。どうしても自分の事は後回しになってしまう。💦

 

午前10時前に受付を済ました。予約外だから時間がかかると言われた。仕方ない。明日からショートに行く予定だけど、原因が分からないと先に進めないから。

待合室は相変わらず混雑していて予約した人が先に診察してもらうようだから順番がなかなか回ってこない。おおよその時間でも教えてもらえれば喫茶店かどこかで時間待ちが出来るのだけど・・・・急に来たので仕方ない。ただ順番を待つ。

およそ3時間くらい経過した後、名前を呼ばれ、レントゲンを撮るように指示された。

担当の先生はいなかったので別の医師の見立て。

『骨折はしている様子は見られない。おばあちゃん、痛みが心配で来てくれたんだ。又ねぇ~~。』若い先生、ハハ様に笑いながら言った。

ホッとした。これで明日ショートに送れる。私たちも何処かへ行ける。

前回の発熱では計画していた旅行があわやパァ~になるところだった。あの時は、1日ショートの日取りを遅らしてもらい私たちの出発も遅らせ何とか計画の旅行を達成できたけどヒヤヒヤだった。

これから何処か気晴らしの旅行をしようと思うけど・・・・思いつかない。私の腰もちょっと痛いし。山歩きはムリかもしれないし~~~介護ってこういういろいろなハプニングがあって、まるで子育ての時のようだ。

それにしても子育てはおおよそのめどがたつけどぉ~~~私のこの老々介護、いつまで続くのよぉ~~~~。それにしても妹は気楽。前回のハハ様の発熱の時も電話を伝えたけど……心配じゃないのかしら。向こう側からハハ様の事を気遣って様子を聞いてくることは皆無。

そのくせ、

『お姉さんの用事があったり体調が悪い時はいつでも交代するから。』なんて言う。こちらもその気になって連絡すると、

『孫の世話があるから~~~~。』

『私もパートに出るようになって忙しいから~~~~。』

『突然の、ミーティングがあってずっと欠席したから今回は出席しなくてはならないから~~~』

なんて代われない理由を言う。ハハ様の認知症が分かってから約8年以上、一度も代わってくれたことがない。全く調子だけいいんだからぁ~~と思う。

そして、『ハハ様の認知症の介護は楽な方だと思うょ。』なんてのたまったことがある。

私の場合、認知症だと分かる前が一番、大変で何かと突っかかって来たり、被害妄想になるハハ様の対応に神経をすり減らしたことがある。そういうことが数年、続いた後に認知症だと分かった。

そして、ハハ様の異常行動や言動が認知症が原因であることが分かった後、心の中がすぅ~~っと軽くなったのを覚えている。

気分的には負担も軽くなったような気持ちはあるけれど、夜中の徘徊騒ぎやうん〇騒ぎは気を休める時もなく、徘徊できなくなった今は夜中に何回か起きてトイレの世話をしているし、昼間も外出もままならない日々を過ごしている。

楽って言うなら、『それじゃ~代わって介護してくれる?』と言ってみたら、

『・・・・・・・・・・・。』妹、しばらく無言。

『家には、介護ベッドないし私、運転できないから何かあると大変だし・・・・・。』

運転できないのは私も一緒。要するに介護を代わる気持ちはあっても具体的になるといつも拒否なんだから。口ではなんとでも言えるよね。

 

以上 老々介護者のボヤキでした。

 

 

 

 

 

ワンピース

ワンピースの2作目に挑戦した。

模様入りの生地なので柄合わせが必要。胸の切り替えの柄合わせと、柄の中心に前後見ごろの中心になるように気をつけた。初心者の私には高度すぎたかな?苦労したよ~~~。

 

胸元に切り替え線でダーツも前後身ごろに入る。

 

後ろファスナー、襟見返しが付く。前回のに比べるとやや作り方が混んでいる。

コンシールファスナーが付いたけどミシンの抑えが専用のものがないのでちょっと手こずった。上手に付くとファスナーが完全に隠れて縫い目のようになるはず。これでも脱ぎ着が楽になるからまぁ~いいっか。

    

 

前回のパターンで、今度はチェック地で作ってみた。もちろん麻混。前回のはやや厚めの布だったので縫うのも苦労したので今回はやや薄手。アンダーの上に直接着れば涼しく過ごせそう。

 

後ろ身ごろに前後の区別がつくようにリボンを切り、タグ替わりしてみた。

ハハ様の見守りで退屈しのぎです。

 

 

A君がドイツから一時帰国した機会に先生、旧友が集まった。お楽しみ会が盛り上がった勢いで、カラオケ店に入った途端、グラグラと大きな地震。

あまりに揺れが大きいので部屋のドアーを開けて万一に備えた。

5階でもあり揺れも大きかったのかもしれない。

 

すぐに治まったので2時間くらいカラオケ店で過ごし、調布駅から京王線に乗り新宿へ。

 

新宿駅では様子がいつもと違うのを感じたけどそのまま埼京線へ。すると階段下に大勢の人が並び上に上がれない。

その時、初めて地震の影響があったことを知った。東京のJR線はストップしたり乱れている。地震後3時間くらい経過しているのに?????。そんなに大きな地震だったの?

地下鉄は動いているらしいけど・・・・・私、地下鉄は大の苦手💦 閉所恐怖症の発作が起きるかもしれないから。

旧友二人は地下鉄で帰るという。さいたま市の美園まで地下鉄はあるけれど乗ったことがないし、南北線はどこから乗るのかも分からない。あのあたり、車で行ったことあるけれど完全に無知。未知の世界と同じ。それに夜でもあるし・・・・美園からの帰り道はどうするか思いつかない。

A君のアドバイスで南北線で王子まで行き、そこから京浜東北線の大宮まで行けることを知った。赤羽からは荒川大橋を渡れば埼玉県の川口市。もし、赤羽以北のJRが動いていなかった場合、自宅まで歩く覚悟もしていた。

王子駅で途中下車して京浜東北線の事をA君は聞いてくれた。・・・・やっぱり、ストップしていた。

駅員に埼玉まではどうしたら良いか聞くと赤羽から先はピストンしているらしいので大宮まで行けることが分かった。

そんなわけで地下鉄南北線の志茂という駅でA君と下車して私はそこから赤羽駅まで歩いた。

赤羽には親戚もあるし昔、住んでいたこともあるので地理もよく知っているから安心。15分くらい歩くのも苦にならない。A君は人通りの多い通りまで送ってくれそこでお別れした。彼は明日の早朝に八条島にに旅行に行くことになっている。ドイツから帰国して連日、飲み会があり疲れているだろうに彼は、いつでも元気いっぱい。日本に帰国するといつでもあちこち出かけ、山歩きや旅行をしている。八条島から帰ると週末は尾瀬に2泊で行くという。いいなぁ~~~。

 

赤羽駅からは埼京線に間引き運転ではあったけど少し待っただけで乗れて無事に自宅に帰れた。

私は今まで大きな地震に何回か遭遇したけれいつも何かに守られているのを感じる。今回も何かの力で私は守られたような感覚がする。

最近の路線が全く分からない私があの時、一人だったらかなりパニクっていただろうと思う。A君は昔から頼りになる人で学生時代はいつでも彼を頼っていたような気がする。この関係、社会人になって高齢者に仲間入りした今でも同じみたいで笑っちゃう。

家に着いたら携帯にメールしてと言われたけど・・・・・私、忘れてしまった。💦

 

今回の地震で首都圏の弱さを痛感した。もし、エレベーターに乗っていたら?もし、ビルの部屋に閉じ込められたら。あぁ~~~考えると怖い。閉所恐怖症の発作が出そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一年前、書いたgooブログの記事がメールで届いた。 

 
花たち
ニィニィの部屋は花達にとっても居心地が良いみたい。胡蝶蘭は・・・・昨年の12月に購入したものだけど、何と5カ月近く咲いている。(4月末撮影) 昨年...
 

今年も胡蝶蘭たちは開花して部屋が明るくなった。

連休には、グループごとの知り合いを呼んで蘭の鑑賞するお茶会を開いた。

 

胡蝶蘭を始めた咲かせた昨年は驚いたり嬉しかったり。

 

昨年に引き続き、今年も咲かせることが出来て本当に嬉しい。

 株が増えたりしないけど上手に育てると30年~50年も生き続けるとか。

もしかして私より長生きするのかも。

 

 


 

何とか作り方の本を見ながら出来上がったが、やっぱりポケットのつけ方が難しくて手こずった。

本で読んでもポケットのつけ方解らないので、実物で練習と言うことで解らないままで縫い始めた。

前後の見ごろに縫い付ける説明が難しかった。コツがあるのだと思うけど良く解らないまま進んだ。何度かほどいて縫い直しもした。

 やっと完成!! 素敵でお安い既製服が沢山、売っているのに。わざわざ手間暇かけて服を縫うなんて・・・・・それも大の苦手の裁縫をするなんて笑っちゃう。

布がしっかりと厚く縫いにくい上に、裁ち目がほずれやすい。裁ち目かがりをしたものの洗濯にどこまで耐えられるか。それでもアンダーに何か着れば真冬以外は着られ便利そう。


先に縫ったパンツ。ウェストの麻テープがにいらなかったので友布で作ってみた。少し、ましになったかな?

 

難しい個所を縫っているときいつもハハ様の事を思い出す。ハハ様は私の縫い上がったものを気に入らず縫い直ししていた。

そう思いながらハハ様に見せた。

私 『おばあちゃんは昔、縫物上手だったよね。』

ハハ様 『私は縫物なんかしたことないし、へたくそ。何もできないよ。あんたのが上手だよ。』

意外な言葉が返ってきた。昔、縫物のプロだったことも忘れている。そういえばハハ様が縫物をしなくなってかれこれ10年くらいたつかもしれない。

昔の事はよく覚えている認知症なのに、昔、半プロのように縫物をして生計を立てていたことは忘れてしまったのか??

私のわんこ『ひかる』の洋服を作ってくれたのが最後だ。


 

ワンピース作りをすることになった。

似合う、似合わないは別問題で手作りの本の1ページ目に掲載されていて作り方が詳しく書いてあるので、まずは基本だと思い選んだ。

これからの季節に着られるリネン。アンダーにTシャツを着ればボートネックの襟から少し見えてすっきりと着られそう。(*^_^*) ワンピースだけど、パンツをボトムにはいてもよさそう。

一枚の紙にいくつかのパターンがS、M、L、LLの四体型の型紙が書いてあり、線が沢山重なっている。他の服の型紙も同じ紙に書いてあるので更に線が煩わしげ。同型紙を少し変えて別の服も作れるらしから、さらに複雑になっている。間違えないように、作りたいワンピースの型紙を赤い線でなぞった。

使わない不織布のシーツを型紙の紙にした。ふつうは模造紙か何かに写すのだろうか?まぁ~下の線が見えればいいや。何とか実物大の型紙を写し取ることが出来た。前後身頃、袖、ポケット。

 

スーパーの中にある手芸店に行き、布選び。小さな店なので気に入った布がない。店員さんに相談して適当に選んだ。まずは裁縫の練習なんだからなんでもいいや。

 

裁断と、布を広げるとさっきまでおとなしく寝ていたちっちがやって来て、手を出そうとする。私が何かしようとすると必ずオジャマ虫の出現だ!!

ダメよ、ダメダメ、だめ~~~よ~~ん。

 

大きな声を出してもちっちはズカズカと・・・・・広げた布の上に乗る。

布には待ち針が付いているから危ない、危ない。

 

少し時間をおいて取りかかろうとすると、またもやって来てゴロリン!! 『お母さん、遊んでよ~~』って感じ。

そしてハサミのそばで寝んねです。

 

私が作業をするとまたもオジャマ虫。布の上で寝てしまう。お昼過ぎたし

、ここで中断しましょ。ハハ様に昼食を作って上げなければ・・・。

 

2時ごろ、再度、挑戦しようとするとまたも、ちっちやって来ました。

なかなか布の裁断がはかどりませんね~~~。

 

やっと、布の裁断が完了したが、はたして縫いあげることが出来るのか。

本の説明を読むと脇のポケットの付け方がとても難しそう。手芸店の店員さん、

『ポケット、ぶつけて縫ったらいかが?』

練習だから本の通りに仕上げるつもり。

 

 

 

ここは磐梯山の見えるホテルの敷地。標高800メートルにあるのホテルの周囲は、季節はまた冬に戻ってしまったようだ。ふもとの会津若松は桜が満開だったけど・・・・ここではまだ蕾。当日は日中の気温も4度くらい。すごく寒かった。後方は雲に隠れる磐梯山。

ホテルの再生力で有名なこの星野グループに興味があった。何故、経営不振に陥っていたホテルの経営権を譲り受け、その再生に成功したのか、実際にその秘密を知りたかったので東北旅行の際、宿泊所に選んでみた。

残雪の中からフキノトウが顔を覗かせていた。春はもう少しで来る。

〇 ウェルカムドリンク。ブルーベリージュースを炭酸で割ったドリンクのサービスだが手作り風で酸味とあっさりの甘みが美味しかった。

〇 夕食前には、バーに立ち寄り食前酒と前菜のサービス。

食事はビュッフェ式だったが、料理の一つ一つを手をかけて作ってあるように思えた。

〇 係員が食べる順番の説明やお勧めの料理について簡単に説明してくれた。

 

万難(?)を乗り越え何とかホテルに来られたことを感謝して乾杯。オットット様は生ビール、私はワインのマンゴージュースカクテル。

 

目の前で焼いてくれるステーキは美味しかった。

 

〇 お勧め、大人のスイーツ。チーズと生クリームを練りこんだものをブルーベリージャムで頂く。トッピングに胡椒とライムのすりおろし。甘みを抑えた大人向けスイーツ。

 

料理は、そのほか沢山あったけど割愛。

 

翌日の朝食もビュッフェ式で、どうしても食べ過ぎてしまうから、健康を考えて、少しずつ取って運んだ。

 

 

わんこのひかると山歩きをした磐梯山が後方に見える。よく歩いたなぁ~~と、雪の残る山を見ながら思った。ここまでやってきて本当に良かった。

 


 

独り言

部屋も広めで整い清潔感があった。食事も、ビュッフェ式だったがまずまずの味。ウェルカムドリンクなどのサービスも行き届いていると思った。

このホテル、予約キャンセルする際、4日前から100%かかる。こういった形式は珍しい。かなり前から予約して当日近くにキャンセルする人がいるらしいから、ホテル側の予約荒らしに対する防衛かもしれない。このシステムも業績に寄与する一因かもしれない。

サービスはもちろんだけど従業員一人一人に暖かさを感じた。出会った時の挨拶やちょっとした会話。サービスの押しつけがましさは感じず、さりげない気配りを感じた。女性も男性と同様に全国区で地元の人ではないというがスマートな対応が気に入った。

会津若松駅までの送迎をしてくれたスタッフは入社8年という。車中も私たちの興味に付き合ってくれた。市内の桜並木を走ってくれたり、翌日はNHKの大河ドラマで有名になった一本桜の八重の桜『石部の桜』まで送ってくれた。前日、石部の桜を見るためにバスに乗ってその付近まで行ったけれど、時間の都合で諦め、見られなかった桜だ。

そして、星野グループの社長の特色ある経営方針なども語ってくれた。その社長の元で仕事をしている楽しさのようなものも語っていた。若者が誇りを持って働く姿を見るのも好ましく感じた。

美味しい食事と美肌の温泉。たった一日の宿泊だったけどゆっくりできた。又、頑張れる~~~~。

 

 

 

 

 

東北の震災や原発の事故にも負けず、春には必ず見事な花をつける、三春の滝桜に元気をもらいに出かけた。

のどかな村に一本の老木が気高いまでに堂々と咲き誇っていた。

 

根本は過ぎ越した長い年月を感じる老婆の手のよう。痛々しさまで感じる。この老桜をいたわりつつ世話をしている周囲の人たちの涙ぐましい努力も感じる。

 

 

  

枝が滝のように花が沢山。震災の年の滝桜はいかがだったのだろう? 三春の駅の周囲の桜は、その年は非常に美しい色で染められたとか地元の人が言っていた。

 

ハハ様が発熱し、体調が良くないのに預けてまでもここまで来た甲斐があったと思う。この老木から元気をいっぱいもらえたから・・・・・・・。

又、頑張れる~~~~それで十分だ。

 

 

 


  

 

独り言

滝桜への旅がハハ様の高熱で危うくなったときに代わりに行ってくれるかもしれないと誘った友達は吉野の桜を見に行くと言っていた。滝桜も見た経験があり、『きっと元気をもらえるから、無理してでも是非、行っておいで。』と言った。今年は開花が早いから見ごろは過ぎているかもしれないと・・・・私は思っていた。でも600年も長い年月を経た命には何かを感じるかもしれないから、老木の姿だけでも見たいと出かけた。

開花後の低温、そういえば郡山に降り立った時、非常に寒い。大宮では汗をかくくらいの暖かさだったもので薄着のまま、バタバタと出かけて来た。駅ビルでちょうどバーゲンをしていた冬物の上着を購入したくらい寒かった。この低温が私たちにはラッキーだったかもしれない。桜も散らずほぼ満開状態だったと思う。