洲崎散歩の後、金沢八景駅から隣駅の追浜迄 普通電車
に乗り、着いたらバスで夏島迄行こうと思って居たら、
追浜駅前通りを結構先迄行ったら夏島方面へ曲がらない
で、終点に成って仕舞った!とんでも無い事になってし
まいました。其の日は 夏島の工場は 全て休みで 人
一人居ません。此の先が果てし無く遠いの
は容易に想像出来ます!何処迄行けば良いのかも解りま
せん。こんな先の通りまでは来た事も有りません。夏島
に向かって果てし無く、気持ちが折れそうに成りながら
粘り強く歩きました!夏島、夏島と言いますが、こんな
所迄来なくても駅から徒歩可能な、私が通学して居た追
浜高校だって、住所は夏島なのです!道を聞く人も居な
く日産もブロック毎に 守衛が門の奥に居ますので守衛
さんしか 聞くにも人が居ません。日産自動車の守衛さ
んに 明治憲法発祥の地の碑を聞くのは随分と勇気が出
ず黙々と歩きましたが、何処までと言う所が無いともう
歩けないので、聞き易そうに見えたので聞いたら 曖昧
でしたが教えて呉れました!教えて貰ったより遠かった
けれど、其れらしき物が見えて来て着きました。果てし
無く歩いて居る時に、道端に咲いて居た有触れたお花を
撮りました!やっと着きました! バンザイ!
此処に書かれて居るのは
この記念碑は 現在地から南方2百mの場所に、大正15
年11月に建立されたもので有る。当時 明治憲法草案
起草の関係者であり、記念碑の建立発起人の一人であっ
た金子堅太郎の言によれば、其の場所は別荘の草案起草
の室にあてられた12畳半部屋で有ったと言う。
記念碑は太平洋戦争後 荒廃して居たが、当時この地で
操業していた富士自動車株式会社の手によって一部原形
を変えて改修され、昭和二十六年二月再度除幕された。
このたび、元の位置を含む一帯が日産自動車株式会社に
帰属することとなったので,同社と協議のうえ現在地に
移設させ、明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念
碑として、永く後世に伝えようとするものでえある。
ちなみに、此の碑の外面は七十六個の石からなるが、
これは明治憲法の七十六か条を意味し、基石の縦横
各二十二尺二寸一分一厘の長さは、憲法発布の明治
二十二年二月十一日を示したものである。
昭和五十年四月二六日 横須賀市
夏島の 明治憲法草案起草の遺跡を示す唯一の記念碑
尚、夏島は 横須賀市に帰属して居ますが 横浜市(金沢区)と横須賀市で帰属問題の有った地で、東京湾に浮かぶ無人島の夏島との間を、埋め立てて三浦半島にくっつけました。地理的、歴史的問題と 市長・政治家の力関係も大きいと思います!私個人としては 夏島は金沢と思って居ます!


