一筆啓上火の用心 お仙泣かすな馬肥やせ 丸岡城(2) | トドワラのブログ

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国宝だった日本最古の 丸岡城(1)の続きです!

丸岡城は戦国時代の天正4年(1576)一向一揆の備えと

して織田信長の命により柴田勝家が甥の勝豊に築かせ

たとの事です!







柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元

を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わったが、本

多氏は4代で改易。元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有

馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続きました.
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実は私は日本一が有る事は、何年も前から知って居

ました!勉強したのでは無いのです!NTTの使用

済みテレホンカードを集めたのを持って居て、其の

中に丸岡城のも有り、お城の写真と共に日本一の事

が書かれて居たのです!丸岡城は日本最古ですし国

宝だったし、有名なのです!







其れが、テレホンカードと同じ事が次の画像の石碑

に書いて有りました!此の画像の前後にupした天

守閣の石垣の右下に見えるでしょう?庭師の様な二

人の傍です!テレホンカードに書いて有ったから!

では頭可笑しいと成り兼ねないので親方に聞いて見

たのです!







石碑に書いて有る事の説明は、調べたに換えます!

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」

徳川家康の家臣、本多作左衛門重次が陣中から妻に

宛てて送った手紙として有名です。「お仙」とは後

の丸岡城主本多成重(初代丸岡藩主 幼名:仙千代)

のことです。この石碑が縁で、日本一短い手紙文の

一筆啓上賞の起こりとなりました。







この丸岡城天守閣を最後に、城内を去ります!

一筆啓上石碑が縁で1993年にスタートした「日本一短い

手紙文コンクール」の一筆啓上賞は全国に一大ブームを

巻き起こしたそうです!








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