半年以上前から携帯サイトで「日本史からの挑戦状」というのをやってます。
子供の頃から日本史が大好きで、先生や親に言われるでもなく歴史年表を作ったりして喜んでいるような子供でした。
今でも歴史好きは変わりがなく、学校で習うような何年にどんな出来事があったと表面上の事だけじゃなく、その背景、出来事の内容、どんな人が関わっていたのか。そして、その人はどんな人なのか。
物事を掘り下げて調べていくと新たな発見が色々あってすごく楽しいです。
日本史好きから軍事にも興味を持つようになり、戦争に至った経緯、時代背景など本を読んだり、色々調べていくうちに軍事と政治は車の両輪の如くどっちか一方が欠けてもうまく走らないとの思いを抱くようになり政治にも大きな関心を持つようになりました。
やはり自国の本当の歴史を知る事は非常に大事な事と考えます。
学生時代はそこまで深く考えた事はなかったですが、先人達が延々と築き上げてきた日本の伝統、文化、精神があって今の自分達がいるんだと気付いた訳です。
今ではバリバリ保守系の考え方を持つ日本人に成長しました。
今は誇りを持って堂々と言う事が出来ます。生まれ育ったこの日本が大好きだと。日本人に生れてよかったと。
それゆえに今の日本が置かれている内外の状況が、もはや待ったなしの憂慮すべき事態であり、このままでは日本は沈没してしまうと大きな危機感を持っています。
携帯サイトの事に話を戻します。有料サイトですが、自分が今まで色々勉強してきた事がどれだけ身に付いているか確かめて見たかった訳です。問題も一問に付き制限時間30秒と時間制限があるのでネットで調べたりする時間は無く、本当に自分の今まで蓄積してきた知識だけが頼りです。
現在は登録者725人中9位と、まあ健闘しています。
佐伯海軍航空隊跡の大東亜戦争関連の遺構を訪問し終わって、もう一つ目的があったので家路につく前によって来た。
大東亜戦争から時代は70年近くさかのぼり、西南戦争関連の遺構が佐伯市にはある。
佐伯招魂所、又は岡の谷招魂所と呼ばれる官軍墓地と船頭町にある大日寺である。

赤点の場所が佐伯招魂所、大日寺
まず佐伯招魂所を訪れて見た。
案内板も無くネットで拾った情報と地図を頼りにやっと発見した。
駐車場も無く、丁度行き止まりの線路そばの道に車を止めて、踏切の無い線路を廻りを注意しながら渡り、線路脇に広がる墓地を突き抜けたその先の茂みの中にその場所はあった。
佐伯招魂所
この官軍墓地には、現在の大分、宮崎県境で戦死または傷つき病死した軍人、軍属134柱、警察官14柱の計148柱が祀られている。
現状はというと見ての通り荒れ放題である。平成17年12月に地元有志が清掃活動(岡の谷墓地公園(仮称)をつくろう!のリンク参照)を行って以降なされていないようである。










本来ならこういった官軍墓地は国の責任としてきちんと整備しなければならない。
戦前は陸軍省、海軍省の管轄であったが、現在なら厚生労働省の管轄になるようであるが所管がはっきりせぬまま棚ざらしにされたままである。これも戦後の弊害の一つであろう。
国が動いてくれないのならせめて地元でという事で、心ある地元議員が一般質問でも取り上げたようだが、未だそのまま放置されている。
招魂所墓碑調査書
http://watanabe.town-web.net/sikoudou/botikouen/tyousashomokuji.htm
岡の谷墓地公園(仮称)をつくろう!
http://watanabe.town-web.net/sikoudou/botikouen/botikouentop.htm
次は大日寺に行ってみた。
大日寺のある船頭町には西南戦争の際に薩軍が入り、この京町通りにあった山内八郎兵衛宅に本部を置いたとされている。この大日寺には官軍の包帯所があったと聞いています。
包帯所とは名前から察する通り、今でいう野戦病院の様な物です。
おそらく、臼杵に進軍した薩軍が官軍との戦闘で撤退を余儀なくされ、奇兵隊本営がある延岡へ退却した後、この地に進軍した官軍が大日寺を包帯所として使用したのではないかと思われます。



この戦跡めぐりが終わって帰路に就いて10分ほどであったろうか、それまで暑くて喉が渇いていたのでコンビニに寄ろうと車を走らせていたらいきなりのゲリラ豪雨に襲われた。
コンビニの駐車場に車を止めて入口まで3mほどの距離がどれだけ遠く感じただろうか、びしょ濡れになった。
大東亜戦争から時代は70年近くさかのぼり、西南戦争関連の遺構が佐伯市にはある。
佐伯招魂所、又は岡の谷招魂所と呼ばれる官軍墓地と船頭町にある大日寺である。

赤点の場所が佐伯招魂所、大日寺
まず佐伯招魂所を訪れて見た。
案内板も無くネットで拾った情報と地図を頼りにやっと発見した。
駐車場も無く、丁度行き止まりの線路そばの道に車を止めて、踏切の無い線路を廻りを注意しながら渡り、線路脇に広がる墓地を突き抜けたその先の茂みの中にその場所はあった。
佐伯招魂所
この官軍墓地には、現在の大分、宮崎県境で戦死または傷つき病死した軍人、軍属134柱、警察官14柱の計148柱が祀られている。
現状はというと見ての通り荒れ放題である。平成17年12月に地元有志が清掃活動(岡の谷墓地公園(仮称)をつくろう!のリンク参照)を行って以降なされていないようである。










本来ならこういった官軍墓地は国の責任としてきちんと整備しなければならない。
戦前は陸軍省、海軍省の管轄であったが、現在なら厚生労働省の管轄になるようであるが所管がはっきりせぬまま棚ざらしにされたままである。これも戦後の弊害の一つであろう。
国が動いてくれないのならせめて地元でという事で、心ある地元議員が一般質問でも取り上げたようだが、未だそのまま放置されている。
招魂所墓碑調査書
http://watanabe.town-web.net/sikoudou/botikouen/tyousashomokuji.htm
岡の谷墓地公園(仮称)をつくろう!
http://watanabe.town-web.net/sikoudou/botikouen/botikouentop.htm
次は大日寺に行ってみた。
大日寺のある船頭町には西南戦争の際に薩軍が入り、この京町通りにあった山内八郎兵衛宅に本部を置いたとされている。この大日寺には官軍の包帯所があったと聞いています。
包帯所とは名前から察する通り、今でいう野戦病院の様な物です。
おそらく、臼杵に進軍した薩軍が官軍との戦闘で撤退を余儀なくされ、奇兵隊本営がある延岡へ退却した後、この地に進軍した官軍が大日寺を包帯所として使用したのではないかと思われます。



この戦跡めぐりが終わって帰路に就いて10分ほどであったろうか、それまで暑くて喉が渇いていたのでコンビニに寄ろうと車を走らせていたらいきなりのゲリラ豪雨に襲われた。
コンビニの駐車場に車を止めて入口まで3mほどの距離がどれだけ遠く感じただろうか、びしょ濡れになった。
今日は海の日です。
みなさん国旗を堂々と掲揚しましょう。

海の日は、1996年(平成8年)に制定された国民の祝日である。制定当初は7月20日だったが、祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003年(平成15年)から7月第3月曜日となった。
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。国土交通省の文書の記述などによると「世界の国々の中で『海の日』を国民の祝日としている国は唯一日本だけ」という。
祝日化される前は海の記念日という記念日であった。海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことに因み、1941年(昭和16年)に当時の村田省蔵逓信大臣の提唱により制定された。
※ちなみに逓信省(ていしんしょう)とは、現在の総務省、日本郵政(JP)、日本電信電話(NTT)に相当する。
明治丸はその後、東京商船学校(現東京海洋大学)の練習船として使用され、現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。
しかし、このハッピーマンデー制度で移動させた祝日は元々その特定の日に意味を持つ為、本来の祝日としての意味を失わせる軽率な改正だという批判もある。
成人の日(1月15日) 小正月であり、元服の儀がこの日に行われていた
海の日(7月20日) 明治天皇「明治丸」による東北地方巡航から帰着した日
敬老の日(9月15日) 奈良時代の元正天皇が養老の滝に御幸した日
体育の日(10月10日) 東京オリンピックの開会式
よく祝祭日とまとめて言いますが、このハッピーマンデー制度の法律が祝祭日法ではなく祝日法であるように祝日と祭日の意味は違います。連休になるのはたしかに嬉しいですが、この機会に祝日、祭日の意味、由来を知って見るのもいかかでしょうか。
みなさん国旗を堂々と掲揚しましょう。

海の日は、1996年(平成8年)に制定された国民の祝日である。制定当初は7月20日だったが、祝日法の改正(ハッピーマンデー制度)により2003年(平成15年)から7月第3月曜日となった。
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ことを趣旨としている。国土交通省の文書の記述などによると「世界の国々の中で『海の日』を国民の祝日としている国は唯一日本だけ」という。
祝日化される前は海の記念日という記念日であった。海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことに因み、1941年(昭和16年)に当時の村田省蔵逓信大臣の提唱により制定された。
※ちなみに逓信省(ていしんしょう)とは、現在の総務省、日本郵政(JP)、日本電信電話(NTT)に相当する。
明治丸はその後、東京商船学校(現東京海洋大学)の練習船として使用され、現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。
しかし、このハッピーマンデー制度で移動させた祝日は元々その特定の日に意味を持つ為、本来の祝日としての意味を失わせる軽率な改正だという批判もある。
成人の日(1月15日) 小正月であり、元服の儀がこの日に行われていた
海の日(7月20日) 明治天皇「明治丸」による東北地方巡航から帰着した日
敬老の日(9月15日) 奈良時代の元正天皇が養老の滝に御幸した日
体育の日(10月10日) 東京オリンピックの開会式
よく祝祭日とまとめて言いますが、このハッピーマンデー制度の法律が祝祭日法ではなく祝日法であるように祝日と祭日の意味は違います。連休になるのはたしかに嬉しいですが、この機会に祝日、祭日の意味、由来を知って見るのもいかかでしょうか。