元々は昭和14年(1939年)に、大分海軍航空隊が開隊された時に航空隊正門の近くに航空隊の守護神として祀られていました。昭和20年に入り、空襲の戦火から守り抜かんと牧部落の山中に建設していた司令部壕前の山林に遷座され、戦後、空襲で跡かたも無く破壊された北下郡にあった天満社を氏子が復元に動き出した時、隣の牧部落会長より司令部壕があった山中に大分海軍航空隊神社がある事を知らされてここに遷座される事となりました。
現在地には平成元年(1989年)に移転安置されるという、大分海軍航空隊神社の開隊と共に勧請された神社は戦争の進展、敗戦の混乱の中で数奇な顛末を辿り、名前も変わり今に伝えられる神社である。
現在は霜凝(しもごり)神社の摂社 鵜戸神宮別宮として鎮座し、宮崎県日南市にある鵜戸神宮の分霊、縁結び、安産、子育て、教育全般の守護神 鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を祭神として勧請奉安されています。
【補足】現在の地名の下郡(しもごおり)の由来は、この霜凝(しもごり)から来ているようです。