前回の記事で 『空手バカ一代』 という文字を書いたとき、名台詞を思い出しました。
「それ、もしかして空手?」
ケンカ十段と言われ、空手バカ一代の後半では主人公的な扱いになっていた、故 芦原英幸先生が、道場破りの際に使ったとされる名文句です。
私は芦原先生に憧れ、大学生時代には芦原会館京都南支部(現 京空会)で、汗を流していました。
結局、昇級昇段審査会の時以外、芦原先生にお会いする機会はありませんでしたが、ほんのわずかでも同じ空間を共有させていただいたことだけは事実です。

【1987年2月昇段審査/関西本部にて】
先生が他界して10年以上が経ち、ネット上や書籍で故人を貶めるような記事を見かけることがありますが、あの鋭い眼光やなんとも言えないオーラは、今でも忘れません。
私は自分の目で、耳で、体で、感じたことを信じています。
当時、極真空手と言えば破壊力抜群のローキックとパンチの連打によるパワー空手全盛の時代でした。
そんな時期に、芦原先生は“小よく大を制する空手”を追及して 『捌き』 なる概念を打ち出しました。
その空手理論の影響力には多大なものがあり、極真の一部有力選手も体さばきや足運びなどを研究していたと言われています。
その後、外国人選手による華麗なるステップワークを駆使した組み手スタイルなども登場し、空手は日々刻々と変化してきました。
しかしそういった変化の中にも、実は根底に唯一絶対のロマンがあります。
『一撃必殺!!』
実際に人を殺めてはいけませんし、現実には難しいと分かっていても、心のどこかでその幻想を追い求めている空手家は少なくないと思います。
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さて、カイロプラクティックの世界も、発見者D.D.パーマーの時代から110年以上が経過し、理論や技術体系がさまざまな方向に枝分かれをしています。
空手の 『一撃必殺』に値する、カイロプラクティックの根幹をなす部分は、下の定義に集約されるものだと思います。
カイロプラクティックとは、自然の法則に基づく哲学・科学・芸術であり、病気(体の不調)の原因となる脊柱上の分節を矯正する為に、手によってのみアジャストをする治療システムである。ある日突然D.D.パーマーが私のクリニックに現れ、私の施術風景を見た時に 「それ、もしかしてカイロプラクティック?」 と寂しそうに言われないように、日々精進して行きたいと思います。