何をしていても孤独に感じる。
人というものが信じることが出来ない。
それが究極になると、SNSすら発信できなくなる。
自分の考えを否定されるのではないか。
自分の思いを嘲笑われるのではないか。
不安やネガティブな感情ばかりが心に過ぎり、何も言葉を発せなくなってくる。
それが、30年近く生きてきた人間の末路か。
昔は違った。
何に対しても自信が満ち溢れ、才能がなくてもやりたいことを沢山していた。
そのお陰か、リアルに友達はいなかったが、ネットの中には友達がいた。
それは、学生の頃の話だ。
学生の頃は、リアルの生活は地獄だった。
友人に裏切られること多数。
彼氏やら彼女やらできて切り捨てられること多数。
上辺の付き合いしかないのに、周りに孤独だと思われたくなくて、一生懸命自分を偽って周りに合わせた。
オタクだけど、好きなことを隠した。
そして言われた先生からの言葉。
お前は考えてそうで、何も考えてない。上辺だけの人間だよね。
泣けてきた。情けなくて。
そんな話が沢山ある。
そういうことが積み重なって、感情を出せず、人付き合いも出来ず、とうとううつ病を発症し、仕事ができなくなった。
そして残ったもの。
友達と呼べるものが本当に1人もいない、孤独な何か。
孤独でも、楽しければいいだろ。
優雅に生きていけばいい。
お金無くても楽しく生きていけるよ。
沢山言い訳した。
友達が多いから良いってわけじゃない。
友達は、信用できる1人さえ居ればいい。
寂しいって、本当に寂しいと思ってる?
本にも沢山書かれていた。
そして、やっぱり寂しいし、信用できる1人すらいなかった。
学生の頃先生に、友達が出来ません。居ませんと、言ったことがある。
どうして出来ないのか、どうして人と同じ感性ではないのかを詳細に話した。
そして言われた、そこまで自己分析出来てるなら大丈夫。
放っておかれた。
学生時代を、大人と同じか、もしくはそれに近い感情や思考で生きてしまった弊害なんだと思う。
そうしないと、生きていけなかった。
親はお金がなくて、父親は働いてなかった。
有難いことに虐待はなかったし、奨学金のお陰で専門学校までは行けた。
でも、親がたちまちヒステリックを起こすと、その日1日はビクビクして、機嫌を取りながら、相手の求める正解を探し続けた。
何に怯えていたのか、わからない。
自分の感情がわからない。
仕事仲間という上辺の関係すら友達がいない。
SNSにも友達がいない。
趣味や特技もない。
何の為に生まれて何のために生きてるのかもわからない。
そして、なんの為にこのブログを書き出したのかもわからない。
トラウマ故に忘れてることが沢山ある。
でも、トラウマだから、急に思い出すことがある。
それを、書き出して、誰かの目に留めてもらって、昇華できたら、少しは変われるのだろうか。