協調しても不協和音の時代に | ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

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アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります

 

 「チャイムが鳴ったら席に着く」は「ベルが鳴ったら持ち場に就く」となり、

 

 「先生の言うことを聞く」は「上司の命令に従う」となって、

 

 「繰り返し読み書きして暗記する」は「単純作業を身につける」になる

 

日本の義務教育の主目的の一つは、製造業の担い手を育てることと聞いたことがあります。

 

 

 さて、けして自分はそんな日本の義務教育を否定していません。

 

 高度経済成長期以降も日本の社会や会社から求められた人材の大多数はそんな担い手であって、今ではそれを外国人も支えています。

 

 そうやって働けば家族を持ってほどほどに暮らせ、定年退職金、さらに年金などの社会保障が受けられる素晴らしい国だと今も信じています。

 

 

 話は変わって、若い頃に自分は他国の同僚達に感化されて働き方をジョブ型に変えたので、今もサラリーマン社会に生き残れていると思います。

 

 もし自分が日本的なメンバーシップ型で働いたらと考えると恐ろしい、サラリーマン社会には生き残れなかったでしょう。

 

 

 団塊からバブル、次に氷河期の世代の自分、この後にはゆとりが続き、失われた平成30年間を働いたことに後悔と反省が少なくありません。

 

 過去や経験にすがりついて働いたら…○○の末路ですね、50過ぎた自分の老害を認めてどう行動すべきなのか?それが課題です☆