あれから40年以上 | ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります

 自分のような"これまで"の人間には「時代は変わった」、若い"これから"の人達には「時代が変わっている」でしょう。

 ここでひとこと、世の中には変わらないものだってあり、いつだって時代は変わっているので、それは忘れないでくださいね。

 

 

 さて、自分が小さかった頃、近所には従業員数が数~2、30名のいわゆる町工場がたくさんありました。

 その多くが繊維や家具に関わる産業で、〇〇メリヤスと言う名前の会社があちこちにあり、おそらくガチャマン景気のなごりでしょう。

 繊維や家具の工場は大分前になくなりましたが、一部は業種転換をして今では自動車部品製造工場になっています。

 

 

 小さかった頃は町工場が遊び場でもあり、メリヤス工場で不良品の軍手をもらい、木工所から廃材をもらって遊んでいました。

 そんな日常から子供心に「大きくなったら自分もここで働いて、軍手や軍足、家具をたくさん作るぞ!」と思っていました。

 それから40年以上が経ってほぼ全てが様変わりし、こんな自分でもスマホなど当時になかった物にも関わって働いています。

 



 メイドインジャパン、ジャパンマネー・・・今では懐かしい言葉となり、若者には新しい材料や分野、形のない物に関わって生きてほしいです☆