ゴミの分別・・・ん~ん~ん~ | ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります


OINT ダイアリー  (ベルリン編)


 今月の中旬までの3週間弱、愛知県の実家の方に帰国してて、“ゴミ捨て事情”なんて事を聞く機会がありました。そこで疑問と言うか、なぁ~んか解(げ)せないんです!どうやら当番の人がゴミ捨て場にいるようで、中には他人のゴミ袋内をチェックして事細かく「分別方法が違う」と言ってくるそうです。“言い方”ってはあるかとは思いますが、少々やり過ぎに思います。

 さて、その疑問と言うのは“燃やすゴミ(燃えるゴミ)”の存在です。この“燃やすゴミ(燃えるゴミ)”と言う概念がゴミ捨て方法の前提にある限り、“リサイクル”とか“資源回収”の考えが成り立たないと思いませんか?確かに、結果としてやむを得ず焼却&埋め立てを最終処分としている事情があると思います。でも、「これは“プラ”マークがないから生ゴミと一緒で燃やすゴミ」とし、自治体とかが決める“燃やせるゴミ”は燃やしてしまえ!とばかりに対応し、それ以外をやり過ぎくらいに分別している実情・・・。リサイクル、資源の活用&再資源化&有効利用のための分別をしているのに“燃やすゴミ”の存在は、なーんか悲しいのです。それに当番にいる厳しい人の言った事を人伝いで聞く限り、“分別する(したい?)ためのゴミ捨て”に聞こえてしまい、“リサイクルをするために分別してゴミ捨て”には思えません。もちろん、生ゴミを焼却する以外の現実的な代替処理方法を僕に考えられる訳ありません。でも、その解決のためにも“何のために分別している”、それ以前の考えで“ゴミを作らない”って考えだけは大事にしていこうと思います☆