高1息子が残したお弁当をそのまま放置したことを怒りましたよって話で。


どうしたらお弁当箱を出せるのか、ということを考えたんですよ。
(笑っちゃいますよね、普通にお弁当箱を出せる人からしたら)

・息子が帰って来たら、「お弁当箱出して」って声をかける。

・もしくは、息子のリュックを勝手に開けて、お弁当箱を回収する。

と、いうのを考えたんですけど。

でもこれって、完全に「私頼み」なんですよね。

息子が基本的には出すように努力する、そしてたまに忘れてるなと思ったら私が「出してよ」と促す、というくらいが本当は理想。

息子が出す→忘れたら私が声かけ、というダブルチェックが機能するんで。

だけど、この「息子が出す」がおそらく最も難関(笑)

つまり私の声かけだけが頼りになってしまう(笑)

うーん。

それならば。

お弁当箱そのものがなければ良いのではないか?というところにたどり着きまして。

息子が好きなのは、唐揚げのおにぎらずと、冷食のイカ天つゆかけの天むす、なんですよね。

だから、これを持たせればおそらく残さずに食べてくるはず。

と、いうことで。

当面、唐揚げのおにぎらずと、イカ天で天むす、のニ種類を交互に持たせることにします。

そこにたまにサンドイッチを織り交ぜながら。
(まーでもサンドイッチも残して放置されたことあるんですよねーーその時も苦言を呈したけど)

そして「ちょっと足りないかな?」と心配になるくらいのものしか持たせない。

学校に購買があるから、足りないと思えば自分でなんとかできるだろうし。

「飽きた」なんか言おうもんなら、その時はまた話し合いよ!この贅沢者め!ってことで(笑)

あの食べ物を捨てるときの「あぁ〜っ!なんてことっ!」っていう苦しみが多分、息子には分からないんですよね。

だから、いくら言葉で言っても伝わらない。

「うちのお母さんはぁ〜、食べ物を捨てるのがダメって言うんだよね〜」

「お母さんがぁ〜、もったいないって言うから〜」

っていう「お母さんが言うから〜」くらいの理解ですね、息子ができているのは。

これって、「実感」ではないわけですよ。

息子自身の「実感」として、「食べ物を捨てたらいかん」「もったいない」という気持ちがあるわけではなく。


私としては「食べ物を粗末にしたらいかん」ということを、子供が小さい頃から散々、言って聞かせて、態度で示して来たつもりだけれども。

今の時点で、うまく育ってないんだな、息子の中で、と思っています。

「もったいない」は多少、感じてるみたい、ですけどね。

今、自分で飲食店でアルバイトしてるんだから。

少しは労働して給料をもらうということ、ご飯を作る誰かがいるということ、を感じても良さそうなものだけど。

いやいや、そこには言及するまい。

食べ物がどのように経過して自分の口に入っているのか、その過程を実感できないと難しいかもしれないですね。
(遡って、遡っていくと、農家の人とかにたどり着くわけじゃないですか。尊い仕事ですよ、農業って)

これは完全に余談になりますけど。

義母がね、お米を研ぐとき。

その研いだ水を捨てるときに、いつも!毎回!お米を流して捨てちゃってるんですよ、何粒も。

私、それを初めて見たときに、「えーーーっ!?米が流れてる!!」て思って、びっくりしたけど言えなくて。

だけど、彼女からしたらそれはもう日常茶飯事で、「もったいない」ことではないわけですよ。

たまらなくて、何度か「お米流れてるよ」って言ったこともあるのですが「うん!出ちゃうのよねぇ〜」って軽い感じで全く相手にされず(笑)

そして、義母は本当に躊躇なく食べ物を捨てる。

見てるこっちが痛いくらいに。

まあ、田舎ってね、それくらい食べ物が豊富にある、というのも本当なんですけど。

だからこの「もったいない」の感覚もね、個人差のあることなので。

一概には言い切れない。

「もったいない」の基準ですよね、そこには個人差はもちろん、あるのですけどね。

「もったいない」とか「大切に思う」って、どれだけ裕福になろうともなくしちゃいけない気持ちだと思うんだけどな。
(しかし我が家は裕福じゃないからね、切実なはず……なんだけどな笑)

まあ、息子の中に、その気持ちをうまく育てられなかったのは、私、なんだけど。

結局ね、ここで偉そうに何を言っても、全部自分に返ってきちゃって(笑)

うぅっ、イタタタタタ………。

あぁ、私が痛い(笑)