「考えた」のであって結論は出ていませんが。

ここ数週間、学部の4年ゼミと院のゼミで評価について考えています。

いろいろわからないことがあるのですが、英語(外国語)の場合、やはり問題になるのが、評価における「知識・技能」と「思考・判断・表現」との違いです。

今回は以下の例で考えてみたいと思います。小学校の高学年を想定した例です。

*校長先生はどんな人なのかを英語で説明するといというタスク
*対象となる技能は「話す(発表)」

・みんなが(校長先生が)大好きだ。
・野球ができる。
・音楽の先生だ。
・料理が得意だ。
・ピアノが得意だ。
・テニスはできない。

上の材料をどう扱うかで、その問題が思判表の問題なのか知識・技能の問題なのかがわかるといのが学部生・院生とも共通している理解でした。

【知識・技能の問題】

→ 上の文をそのまま英語で表現する。

【思考・判断・表現】

→ 校長先生のことをみんなに良く知ってもらうために、箇条書きの内容を取捨選択し(新たに加えることも可)、順序も入れ替えて英語で表現する(「できる」「できない」の部分をひとつにまとめるなど)。

比較的わかりやすい区別だと思います。

ここで問題になるのが、思考・判断・表現の問題には「国語力」が大きく関わっているのではないか、これは英語の評価方法として適切なのかということです。これは学部生からも院生からもあがった声でした。

確かに、これは日本語で文章構成などが得意な生徒のほうが有利です。これは国語力かもしれません。

ただ、実際に英語を使う上で文章を構成する力は重要です。英語力の一部と考えてよいと思います。もしそうでないなら、英語の試験では自分の意見などを表明する必要はなく、必要なことを英語に訳せばいいというころになります(程度問題ですが)。それではなんだか昔の英語教育に戻りそうです。

まだまだもやもやは続きます。