西武グルーブが経営している遊園地は、都内の豊島園と所沢の西武園がある。
西武が左前になって新たな投資も出来ずに来園者は低迷していた。
ここにきてやっと前に進みそう。
2年前、園内にある紫陽花園を見に行ったがよくもこんなんで入園料を取るもんだと憤慨した。
遊具も後楽園と比べたらおんぼろだった。
今回、西武は、豊島園を東京都に売却、そこに都は防災公園を作り、その一画にアメリカの映画会社がパリポタのテーマパークを作ることになった。
所沢狭山丘陵には、西武グループが運営するゴルフ場、競輪場、球場、スキー場、テニスコート、遊園地がある。
70年前、首都圏唯一のテーマパークだった所沢のユネスコ村は、都内小学生の定番の遠足コース、その後恐竜館になり現在は手のかからないゆり園になってその隣に西武球場がある。
西武ライオンズが二連覇を果たして観客も増えてきた。
今球場をボールパークにリニューアルすべく工事中、隣接する狭山スキー場も一緒に改修工事をやっている。
一番置いてけぼりをくった西武園ゆうえんちはどうなるのか?
西武グループは、ALWAYS三丁目の夕日の世界に変えるらしい。
何で三丁目の夕日?
思い当たるのは、映画に使われた車が所沢の自動車学校が保有するクラシックカーだったこと。
西武は、従来型の遊具を廃し、あまり金をかけずにまだ元気だった頃の日本を再現するようだ。
投資額は100億円。
ALWAYS三丁目の夕日の時代を私より7才上のコラムニスト・故天野祐吉氏は、次のように書いている。
振り返ると、日本が一番豊かだったのは昭和30年代前半の頃だという気がしています。
それ以前の昭和は、戦争と戦後の混乱による“血まみれの昭和”だったといえる。
そんな時代が終わり、ようやく人間らしい暮らしに戻ることができたのがこの時期でした。
もちろん誰もが貧しかった。
ただ、貧しいながらも当時の日本人は、映画『三丁目の夕日』で描かれたように人間同士の信頼感や助け合いの気持ち、日本人の美風を持っていた。
軍隊を持たないという世界でも稀有な国として歩んでいく新しい時代に向かって、誰もが希望に燃えていました。





