国内問題から目をそらすために反日が利用されているとの論がある。
仮にそうだとしても、この手法では何も解決されないことは明らか。
広がる格差、拝金主義、地に落ちた道徳、
我々が懸念する以上に中国国内でも、何とかしなくてはという声が上がっている。
今、中国は、儒教とキリスト教がブーム。
政府がカルトとした法輪功のような団体は認められないが、あくまでも、共産党が認める範囲内で宗教を利用する試みが始まっている。
◆儒教による〝礼と孝〟を取り戻す運動。
中国には、日ごろの感謝の気持ちを表すために子が親の足を洗う習慣があった。
この習わしが段々すたれてきた。
この〝足洗い〟を集団でやる、集団でやることで、〝気づき〟が広まる。
一種の集団ヒステリーなのだが、効果てきめんなのである。
◆韓国でもキリスト教が盛んだが、政府公認のキリスト教が勃興している。
非合法の家庭教会は、地下教会として弾圧され、バチカンから非難を受けている。
しかし、非公認の「家庭教会」の一部を黙認している。
儒教にしてもキリスト教にしても、人々の求めていたものにある程度こたえてはいる。
不思議なのは、日本人になじみのある仏教の存在が希薄であること。
インドで起こり、中国で発展した仏教が、インドは全くと言ってもいいくらいその痕跡はなく、中国でも存在感は薄く、キリスト教の方が人心をつかんだ。
日本人は、一応仏教徒といことになっているが、タイやチベットの人達のような信仰心はない。
一言で言えば、現在の日本の仏教は、葬式仏教である。
それでも仏教を哲学的に解している、己の欲望、煩悩をきちんとコントロールすることが心の平穏を得るために必要である学んできた。
その結果、宗教心はないが、最低限の道徳心は自然に涵養された。
中国政府は、宗教を通じた外国の干渉には断固拒否の姿勢を取り続けている。
しかし、仏教であれ、キリスト教であれ、いろいろな会派があり、中には海外の同グループとの連携が普通だ。
特にカトリックであれば、総本山のバチカンと無縁という訳にはいかない。
宗教とは、そういうものだ。
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