60年前に通っていた中学校のところが、樋口一葉が助教を勤めていた「萩の舎」があったところ、そしてそのすぐ近く、毎日登校時に通った道に面したところに永井荷風の生家があった、こんなことを知ったのは僅か10年前だ。
たまたま神楽坂に行ったついでに飯田橋からぶらぶら散歩。
中学校の前の道路に、永井荷風生育地、萩の舎跡、安藤坂、北野神社のプレート。
この写真から文字を入れて、切り取ろうとしたが失敗。まだペイントの使い方が分からない。
ここから僅か数分のところに伝通院がある。中学校に行っていた時は、自宅と学校の往復だけで学校の周りを歩くなんてこともなかった。伝通院と言う名前は聞いたことがあったが、それが有名なお寺だと知ったのは50年ぐらい経ってからだ。
疎開先に、避病院という伝染病が起きたら隔離する寂れた建物があった。松林の中にあって、窓ガラスは破れたままだった。俺が知っている「院」というのは、そんなものをイメージしていた。
<伝通院正門>
<徳川家康の生母於大の墓>
<一葉が伝通院から本郷の借家に向かう道>
<文京区役所から見た今歩いたところ>
一葉と荷風は、我らがブロガーの大先輩だ。
一葉は、塵中日記など、荷風は、日記のベストセラー、断腸亭日常を残した。
一葉は、父親が死んでから質屋通いを経験するなど貧乏生活を強いられ、一方荷風は、父親の莫大な遺産と著作の印税で生活に困ることはなかった。
一葉の5千円札が生まれたのは、身過ぎ世過ぎに苦労の絶えなかった一葉にお金の苦労だけは、させまいと考えたのだろう。
あの日記を読むと誰でもそんな気になるものだ。



