サードキャリアを考える意義
2024年2月17日 大圖健弘
私たちは中高年のキャリアについていろいろ考えてきている。この中で、セカンドキャリアについて考えることについては、昨今の労働市場の状況や、個人の生活のための選択、あるいは自己のキャリア充実を図る上においても、近年多くの人がその意義を認め、実際に自分のセカンドキャリアについて真剣に考え、充実したセカンドキャリアを形成するためにいろいろな努力をされているように感じる。しかし、サードキャリアについて考えるといった場合に、何故それが必要なのかと疑問を呈する方も少なからずいると思っている。ここでは、いわゆる労働年齢と呼ばれる年齢期間中に何度か転職する場合のキャリアの事ではなく、ある程度年齢が経った時点での次のキャリアのことを指している。こうした時点でなぜ、次のキャリアについて、考えていく必要があるのだろうか。
人によっては、「もうその時点になったらのんびり過ごすことが目標で、またここでキャリアを考えても意味がない」とか」「またこの期に及んで、あくせくキャリアのことを考える必要があるのか」という意見を持たれるかともおられると思う。しかし、一旦、本当にそれでいいか考えることが必要である。これまで、目標をもってキャリアを形成してきた方が、急にこれからのキャリアは考えなくてよいとなった場合に、人はどのように変化するのだろう。筆者には経験がないので明言はできないが、筆者の周りの人の状況を見ると、結構無気力になったり、活力が無くなったりしていることが多くみられる。ここでサードキャリアとは必ずしも仕事人生を指すのではなく、趣味でも勉学でも勿論仕事でも構わず、平たく言うと、自分の生きる目標であったり道筋であったりというものである。こうした道筋が明確でないと人はなかなか活力を見いだせられないようだ。この為、サードキャリアと名付けるかどうかは別として、自分のキャリアについて考えていくことは人生の活力を付ける意味で重要なことと考える。
筆者は、それなりの年齢になったことから、地域の合唱グループに入っているがここでも、それぞれのメンバーが目標を持ちながら活動をしている。そしてこうして目標をもって活動している方々は、年齢を重ねても、活力が見られ若々しい人が多い。自分が生き生きと暮らしていくためにもサードキャリアについて考えておくことは重要である。考えてみると、のんべんだらりと老後を過ごしても、目標をもって同じ老後を過ごしても時間は同じように経過する。しかし、目標なく過ごしていった場合、人生の終焉において「果たして自分は何をしてきたのだろう」と後悔することになる危険性が高い。そうした時にはもう遅い。
「少年老い易く学成り難し」ではないが、サードキャリアを考える年齢になった人はもっと老い易く、残された時間はそんなに長くない。自分に与えられた時間を有効に過し充実した人生にするためにも、サードキャリアについて、是非、具体的にイメージし、それを実現するための道筋、手段、使える資源等について日頃から考えていくことが重要であるように思う。
以前にサードキャリアについて居場所を見つける、現役時代から次のキャリアを考えることについて述べてきたが、こうしたことはすべて、サードキャリアを実り多く過ごすための手段になっている。そして、それは充実した人生であったと最終的に思えるための布石である。是非、こうしたことを念頭に置いて、サードキャリアについて考える方が増えることを願っている。
以 上