ご訪問有難うございます。
EDITの大内茉住見です。
20代の頃、働いている時に
「あ~、疲れたな~。」
と言うと、周りが明らかに不自然な沈黙状態になり、
私を何度かチラ見したひとりから、
「みんな疲れてるんだからさぁ…あなただけ疲れている訳じゃないんだから。
そういうこと言わないの。」
と先輩や同じくらいの立場の人に言われたことが何度かあります。
「みんな疲れているから…?私だけ疲れているなんて思ってないのに。」
と思いました。
「あれは若気の至りでした…♡」という話の展開を期待していたらごめんなさい。
私は40代の今でもやはり、「疲れた時に疲れたと言うことがタブーなこと」だとは思えないんです。
私は、
「どうしてダメなんですか?疲れているなら、みんなも疲れたと言えばいいのに。」
と質問しました。
すると、呆れたように嘲笑し、
「まったく。…そんなことも知らないの?ダメでしょだって。」
というあいまいな内容で、私が納得できる理由を持っている人は誰一人いませんでした。
嘲笑しているのは、私には「私への答え」を考える「時間稼ぎの強がり」に見えていました。
さてここで。
あなたに「疲れたと言うことはタブーだ。」という考えがあるのなら、
ここで読むのを一旦やめて、そう思う理由を明らかにしてみて下さい。
私に説明したり、説得する必要はありません。
自分の中で自分に説明してみて下さい。
-どうでしょうか?
もしあなたの中で、
ゆるぎない信念のもとに、理由を理論的に説明することができたなら、
私はそれはそれでいいと思います。
決して強がってそう申し上げるのではなく、「物の見方、解釈」の答えはひとつではないことを知っているからです。
ただ。
「疲れたと言うことはタブーだ。」と思う理由が、
自分にも説明がつかないほど、あやふやだったのなら、
何故あなたはそう思い込んでいたのでしょうか?
□自分が誰かに言われたことがあるから、そういうものだと思っていた。
□よく耳にすることだから。何となく。
□ネガティブな発言はダメなんじゃないの?
というような理由だったのなら、今改めて
「自分の正解」を考えてみて下さい。
安易に人に合わせたり、通説や風潮に流され続けていると、いずれ「自分の本心」に気付けなくなります。
でも自分では「自分の本心」にアクセスできない状態になっていますから、何が原因かわからず抜け出せません。
どれが正しくて、どれが間違っているのか、自分は何を選んだら良いのかがわからなくなり、「人の意思に流され、通説や風潮に流され・・・」というスパイラルへ。
これ実は恐ろしい状態です。
あらゆることに「自分の正解」を明確に持つことは、「自分の人生のハンドル」を確実に握ることとイコールです。
もしもうっかり道を間違えたとしても、いくつもある「自分の正解」を辿っていけば、軌道修正は可能です。
多少、間違えても大丈夫!
なぜなら、「意思」というハンドルを握っているから♡
必ず「同じ正解を持つ人」がいるから大丈夫。
不安になって、自分を曲げてしまってはダメ!
その場しのぎを繰り返していては、いつまでたっても何処にも、誰にも辿り着けません。
「同じ正解を持つ人」が必ず現れます。
あなたに必要なのは、
「待つ価値のある出会い」です。
私は近い将来、
一緒に働く「チーム=仲間」が欲しいと考えています。
私と一緒に働く場合、
「疲れた~。」
大内:「いや~、今日は疲れたね~。」
仲間A:「ホントに、めちゃめちゃ疲れましたね~。」
仲間B:「疲れてもう歩けませ~ん。」
大内+仲間A+仲間B:
「疲れた~!腹減った~!乾杯~ぃ!」
…の方が私は楽しいと思う♡
労を共にした仲間と「疲れ」を分かち合った方が、疲れが飛んで行くと思う。
疲れは笑い飛ばせる。
その疲れは「心地良い疲れ=満足感」となり、仲間との一体感を得られると思う。
私はもうそれを経験している。
知っている♡
それでは、また。
見極める力を身に付け、それぞれの「理想の人生」が
実現することを目的としています。
EDITは、新たな気付きを得るために、
「変わること=自分を呼び覚ますこと」
に挑戦する女性を称えます。