バングラデシュは90%がイスラム教徒の国なので、断食明けのイードというお祭りの次は、犠牲祭というもうひとつのイスラム教のお祭りが宗教行事として行われます。



犠牲祭はコルバニ・イードと呼ばれ、イスラム教の聖典であるコーランの物語をなぞり牛やヤギを屠り、その信仰と共にアラーの神に捧げる行事です。
イスラムの聖地であるメッカでは、世界中のムスリムが集まり巡礼が行われる大きな祭典。
また、実際に犠牲祭で屠られた肉は三等分され、自分自身、近親者、貧しいい人々へと配られます。



ただ、コルバニ・イードはただ動物を屠殺して肉を分けるだけではなく、コルバニはアラビア語で「カルバ(近さ)」を意味し、この行事を通じてアラーの神の近付くために、努力すること、真摯な気持ちを忘れないことを再確認する機会でもあります。

私たちのアカデミーでも毎年犠牲祭を行っているのですが、実は昨年、アカデミーの子どもたちの中でヒンドゥー教徒の子が牛が屠られているのを見てショックを受けてしまい、
(ヒンドゥー教では牛は破壊神シヴァが乗る神聖な動物として崇拝されている)
そうしたことを配慮し、今年はヤギのみを屠り、牛はお肉となったものを購入し、お料理をしました。




ただ、本音を言えば…
私もいち個人としてはこの犠牲祭が毎年憂鬱ではあります。

犠牲祭前に国内外から集められる大量の牛やヤギ。
ダッカも、村も、その時には至る所に販売所ができて、牛やヤギの売り買いが行われるのですが、数日後には皆殺されてしまう運命を知ってか知らずか、夜によく鳴くのです。時には涙を流して。



私たちはいつもそうして生き物の命をいただいているし
目に見えていないだけで屠殺はこの世界中で毎日のように行われていることなのですが、
宗教行事のためとはいえ必要以上の殺生をしている気がしてしまい…

イスラム教の子どもたちを育てている立場故、私もコーランの内容やこの行事の意図を理解し大人として子どもたちに伝えるよう努めていますが、何年経っても、この行事には「よし!」という事前の覚悟と心構えが必要であります。



ただ、実際に生き物である牛やヤギを屠殺し、動いていた彼らが動かなくなり「肉」となる瞬間は
命の所在、そして生きること、食べることの罪深さを感じる非常に残酷で痛い瞬間でもあり、
そうした現実を幼少期から目の当たりにすることは、生物界の仕組み、世界の仕組みを捉える機会になっているとも感じています。



あまりにも幼いと血や肉の光景がトラウマになってしまうこともあり、アカデミーでも中学生以上の希望者のみ、屠殺を手伝ったり、見学できるようにしているのですが、あの光景を見るとお肉の価格が高くて当然と思いますし、血や内臓を視覚や嗅覚や触覚として、また彼らの最後の断末魔を聴覚として、心身に突き刺さり「命をいただく」という言葉の業を再確認させられます。



長くなってしまいましたが、そんな犠牲祭が、今年も、無事終わりました。