わたしは元々SNSを積極的にやるタイプではありませんでしたが、それでも仕事のお知らせなどはちょくちょく載せたりしていました。
海外にいる自分にとって、FBやインスタグラムは、日本にいる友人たちに元気だよと知らせられる場所で、同じく友人たちの近況を知ることができる場所でした。
それ以上でも、それ以下でもなく、SNSとは程よい付き合い方をしていたのですが、ある時から少し距離を置くようになりました。

その時、わたしは大切な人を亡くして、心がとても繊細になっていて、日々の活動の中で出会う過酷な現実や子どもたち女性たちの惨状だけでも気持ちがいっぱいいっぱいな中で、SNSを見ると更に心が不安定になってしまい、見られなくなってしまったのです。

それは、言葉にするなら
「誰かの感情が容易に自分の中に流れ込んできてしまう」
そんな状態でした。
悲しみで心が過敏になっていたのかもしれません。

自分が望む望まないに関わらずどんどん他のものが入ってきてしまうため、決して心地よい状態ではなく、むしろ気持ちの悪い状態で、このままでは自分が溢れて壊れてしまうと思い、自分なりに考えて距離を置いたのでした。

大人になると、悲しいことがあっても、心がどんな状態でも、自分の代わりがどうしてもいない時は、働かなければなりません。
私がこの国で向き合わねばいけない存在、命、
そのために必要な自分の労力、精神力も全て、
やはり私は目の前の子どもたちや女性たちに使おうと決めたので、他の部分で自分が擦り減らないように自衛のためにとった行為でした。

SNSを見なくなってから、遠く離れた友人知人たちの近況には疎くなってしまったけど、本当に親しい友人とは直接連絡を取り合っているし、他人の感情が自分の中に入ってきてしまう現象も現実世界のみとなり、活動に集中できるようになりました。

それぞれ人間のキャパシティは違うし、器用にやれるひともいれば、私のように不器用なひともいると思います。
でも、それで良いのだと今は思います。
インターネットもSNSも、本来は人間がより幸せに、人生を豊かに生きるために開発されたもののはず。
それをどう使いこなすかはその人次第だし、無理する必要なんてどこにもない。
どうか無理はしないでくださいね。
楽しんで使う分にはとても素晴らしい場所だと思います。

 

そんな割とSNSとは自ら距離をとっていたわたしが、すごく久しぶりにSNSに投稿しようと思ったきっかけが、このAB型マイナスの血液ドナーを探すためでした。

 

(続く)