先日の日本人会の春祭りは無事に終わったのですが、
音響席から見ていて、ステージで歌う方々、踊る子どもたち、スピーチ、発表、みんなみんなが
本当にきらきら輝いていて、それはそれは素敵でした。
実際にスポットライトが当たっていることもあるのですが、「命が輝いている」という言葉が浮かびました。

しかし、ここはバングラデシュ。
何もかもが予定通りにいかず、設営も遅れたり、本番中もマイクトラブルがあったり、担当の音響席にいるとその度にひやひやで、胃が痛くなる思いでした。。。


日本だったら、どんなに小さなライブ会場にも音響さんや照明さんがいてくれて、職人としてプロの仕事をしてくれる。
マイクの番号も把握してくれて、必ず話す前や歌う前に電源を入れてくれる。
ここでは…出番の方のマイク音源が入っていなかったり、歌おうとするとハウリングがおきたり、明かりがつくべきところで照明が真っ暗だったり…というめちゃくちゃなことが日常茶飯事で本当にカオスです。

私達もパフォーマーとして何度も同じ目には遭っていますが、そうした裏方のミスで練習して積み上げてきたものが崩れてしまうのがどれほど悲しいか、悔しいか、分かっているからこそ、なるべく防ぎたいという気持ちがありました。
が、やはり本番何度かそうしたミスが起きてしまいました。

というのも、ここには「舞台監督」という職業がきちんとした形でないのです。
みんな音響・照明・舞台の道具をスタッフたちがそれぞれを担当しながらコミニケーションをとっている形で、その会社のボスはいてたまに檄を飛ばしにくるものの監督業はしていないというか…

だからこの国に来てから、優秀で信頼できる舞台監督さんがいることがどれだけ舞台出演者にとって有難いことだったのか、劇団員時代を思い出しながらひしひしと感じています。
エクマットラの活動をしながら春祭りの裏方を完璧に行うことはどうしても不可能で、自分の手中にないことなので、どうしようもないと言えばどうしようもないのですが、ずっと舞台に関わってきたものとしてやはりジレンマを感じてしまいます。

そんな時、今回の春祭りの実行委員長の方が本当にナイスガイで
「バングラデシュですからトラブルが起きて当たり前!」
と明るく楽しく言ってくださったことに、気持ち的にとってもとっても救われました。
お祭りなのだから、張り詰めずに楽しみましょうと。

その言葉をもらった時に、本当に思い詰めていた気持ちがぱーっと明るくなり、とても有難かったです。

他にも、プライベートなことで悩んでいた気持ちが、ある方のお言葉で晴れやかになったりとか、
逆に理由のない攻撃的な言い方に傷ついたり、考え込んでしまったりとか、
本当にひとの心って、相手の言い方ひとつ、伝え方ひとつでこんなにも変わるんだなあと…ここ数日痛感しております。
 

言葉って、思考であり、気持ちの現れなのですね。
だから言霊っていうことばがあるけど、そこには良くも悪くも込められてしまう。

だからこそ、自分も何か言う時、伝える時、相手の心をむやみに傷付けることのないように
悩んでいるひとや落ち込んでいる人がいたら、その人が救われるような、心が晴れやかになるような言葉をかける人でいつもありたいと思いました。