先週、ロヒンギャ難民キャンプに行った時に感じたこと。

初日は、コックスバザールという難民キャンプがある街のストリートチルドレンの取材でした。
ダッカと同じように、コックスバザールにも路上生活をしている子どもたちがいて、その中には難民キャンプから逃げ出してきたという子もいます。

自分たちがいつも活動している場所でもそうではない場所でも、そうした子どもたちとコミニケーションすることは、彼らの心を傷つけないように細心の注意を払わなければなりません。
そんな難しい状況の中で、今回はヒロさんというコックスバザールでストリートチルドレンへの支援活動をしているベンガル人の現地コーディネーターさんがついてくださり本当に助けとなりました。
ヒロさんと子どもたちとが築いてきた信頼関係の中で、子どもたちの生い立ちや今置かれている環境などを知ることができました。

そこはコックスバザールの廃棄物が集まるゴミ置き場。
ペットボトル、缶、紙くずなど様々な種類のゴミが集められて、子どもたちはその中からプラスチックなどお金になるものを仕分けながら暮らしています。
正直な話、人が、子どもが、暮らすような場所ではありません。
建てかけのビルなので雨をしのぐ屋根はあるものの、壁はありませんし
何より床は一面ゴミだらけなのです。
しかし、子どもたちはその中で身を寄せ合って眠っていました。
どこからか拾ってきたであろうボロボロの布をかけて。

ダッカでも目にするこうした光景。
親が病死してしまった子、捨てられてしまった子、生き別れた子…理由は一人一人様々ですが、
まだまだ母の胸に顔を埋めて甘えたい盛りの年齢の子が、こうして眠る場所も甘える場所もなく、廃棄物に身を包まれて眠っている。

エクマットラに今いる子どもたちも、こうした暮らしをしていた子ばかりですが
やはり子どもにとって、側にいる大人や生活する環境はとても大切なのだと
どうにかしてこの子たちにそうした環境を提供することはできないものかと、
何度見ても胸が痛む光景です。
 
 
 
 
難民キャンプから逃れてきた子は
「あそこには自由がない。ぼくは家族からも殴られた。だから逃げてきた。」
と、言葉少なに語ってくれました。

限られた世界の中で、大人も鬱憤が溜まっていたりするのでしょう。
しかし、家族や近隣が世界の全てである子どもにとって、もしもそこに暴力が存在するのなら、世界は絶望で溢れるでしょう。
 
難民キャンプにいれば、少なくとも配給制度により毎日食べていける。生きていける。
しかし、小さな彼はそこを出て、ここで生きることを決めた。
そうさせる何かがあったのだと思います。

彼の瞳の闇や、表情を見て、難民キャンプはさぞや暗澹たる空気に満ちた場所なのだと思いました。
しかし、その想像は次の日覆ることになります。