バングラデシュでは、8月6日は「ヒロシマディボーシュ(HIROSHIMA DAY)」と呼ばれています。
 
昨日お伝えした通り、毎年各地でヒロシマの原爆投下の追悼式が行われています。
私たちも、広島に住んでいたことのあるベンガル人の友人のスィートさんが主催する式典に参加させていただきました。
 
 
 
 
本来ならば、日本人である私たちが原爆や戦争のことを伝えるべく、行うべきこの式典。
それをスィートさん始め多くのベンガル人の方々が、毎年一生懸命開催してくださっているのは
その心意気には感謝しかありません。
 
ただ…とても残念なことなのですが
この広島・長崎のための追悼式典は年々規模が小さくなっていて、私が来たばかりの2012年は数百人規模の大きな劇場で行われていたのですが、今年は150人くらいの小さな会場で行われました。
 
日本でももしかしたら同じような現象があるのかもしれませんが、そうしたことに興味を持つ人が少なくなってきているのかもしれません。
でも、だからこそ…日本人の私たちもスィートさんたちに任せきりにせず、日本人として一生懸命伝えなければならないことを、考えて伝えようと思いました。
 
 
 
 
 
私たちはBAJNA BEATとして、式典の始まりのパフォーマンスをさせていただきました。
今年は被爆体験記と茨城のり子さんの戦争の詩を、ピアノの演奏と共にベンガル語で朗読させていただきました。
 
観客の皆さんは始めからとても熱心に、耳を傾けてくださっていたのですが
バングラデシュのステージではだいたい予期せぬアクシデントに見舞われます。
この日も、リハーサルの不備、サウンドの問題、プロジェクターの接続不良、パフォーマンス中の携帯音、メディアの方々の演目を遮るような言動…など、
本当に一難去ってまた一難というかんじで、次々と災難が降りかかりました。 

不幸中の幸いだったのは、本当に観客の方々に恵まれ
その真摯な眼差しと温かい空気に助けられ、何とか最後まで心折れずに、伝えたかったメッセージの世界観に身を置きながら、音に包まれながらパフォーマンスを終えることができました。
 
本当に毎回、寿命が縮む想いですが
昨日はとにかく、手記を残そうと決意された被爆者の方々の想いをきちんと伝えなければ、という気持ちでただただ必死でした。

あの戦争から77年。
しかし…今も、世界で戦争は起こっています。
ここ数日原爆の資料や手記を読みながら、こうして先行きの見えない恐怖と絶望の中で日々を過ごしている方々が今もこの瞬間にいるのだ、と思うと本当にやるせない気持ちになりました。

過去の過ち、そしていま世界で起こっている出来事、未来への平和への祈りを込めて、皆で黙祷をいたしました。
 

 
 
 
 
この日は在バングラデシュ日本大使館伊藤大使もいらっしゃり、心に触れるスピーチをされていました。
そして嬉しかったのは、この日伊藤大使の手から日本バングラデシュ財団へ、表彰状が贈られました。
 
長年の功績がこの日バ50周年に認められたとのこと、
本当に本当に…よかったです。
 
未来を生きる「君たち」のために
この世界に美しい何かを残していきたい

大人の私たちがそんな風に頑張っていきたいと思います。