バングラデシュに住み始めてから、私は現地でのNGOエクマットラの活動の他にベンガル語での翻訳や通訳をお仕事として引き受けています。


その中でも定期的にさせていただいているのが、電話による医療通訳。
日本にいる日本語が話せない外国人の患者さんと、病院側とのコミニケーションを助けるのがお仕事で、もともとベンガル語が特殊言語ということもあり通訳が見つからないと知人から紹介をいただき始めました。


当初は、少しでも個人的な副収入になれば良いなくらいの気持ちで始めたのですが、普段使わない難しいベンガル語が多様されたり、また異国に住む外国人という自分と鏡のような方々と対話することで、本当に深い学びと言葉に言い表せない気持ちを毎回いただいています。

 

医療通訳の電話がかかってくるということは、通訳対象者はほとんどが病気の方です。
個人情報に関する守秘義務があるので詳細や個人名は言えませんが
異国で言葉が通じない中、病気であるということは皆さん本当に心細い状況です。


自分の症状を伝えたいけれど、お医者さんに伝えられない。
病院側も状態を知りたいけれど、日本語も英語も通じない。


そんな中で介入するのが医療通訳です。
ベンガル語だけではなく、各国にそれぞれの国の言葉を話せる通訳さんが登録していて、全国の病院や保健所から依頼がくると電話が来る仕組みです。

始めの頃は患者さんの不安や動揺に自分も動揺してしまったり、あまりにも専門用語が多いため途中でパニックになりかけたり、ご迷惑もおかけしたこともありましたが
今は患者さんを安心させてあげるのが自分の役割であると心得て、専門用語も冷静にパソコンの翻訳機能を使って対応できるようになりました。

しかし、時には深刻な病状や余命宣告の通訳をしなければならず、今でもその責任の大きさや患者さんの悲しみに触れて自分の心も揺れることもあります。
通訳時間が終わっても、なかなか気持ちを切り替えられずにいることも多々あります。



けれど…このお仕事を始めて、本当に心から感謝していることは
常に人の「命」の状態と向き合うことで、生きること、死ぬこと、その尊さを日々感じていることです。

私たちはつい、今の状態がいつまでも、続いてしまうと思ってしまいがちですが
命にも人生にも限りがあり、どんな人もいつかは終焉を迎えます。

それを自分はどのように受け入れるか。
そして限りある今をどのように生きるか。

 

日々の繰り返しの中で、忘れてしまいがちな大事なことが
医療通訳をするようになってからはいつも心に在るようになり


例えば大事なことは後回しにせずに今やろう、という気持ちになるし
誰かと会った時も、その人と過ごす時間をちゃんと大切にしたい、感謝の気持ちはきちんと伝えたい、と
昔より「丁寧に生きる」ことができるようになった気がします。

 

 

とりとめのない文章になってしまいましたが、余命が少ない患者さんの通訳をしたばかりで、しかしその患者さんはその宣告をしっかりと受け止め、ご自身の強い意志で残りの日々どう生きるかを選択されていて
人間の強さや尊厳を、深く感じていたところで
詳細はお伝えできませんが、何か自分なりに受け取ったその尊いものを皆さんにもお伝えしたいという想いで今書いています。

今はコロナに感染した患者さんから、隔離や治療についての問い合わせが毎日のようにあります。
幸い最近は家で仕事をすることも多くなったので以前よりは対応できていますが
これからも患者さんの心に寄り添いながら、生命の尊さを医療通訳を通じて見つめていきたいと思います。