高校を卒業してから私は
「劇団フジ」という劇団に入団しました。

 

歴史ある老舗の劇団で、先輩には松平健さん、稲川淳二さん、遠藤憲一さん、三原じゅん子さん、高木美保さん、日高のり子さん…など、今もご活躍されている方が沢山いらっしゃいます。

小学校の時に初めて演劇を観てから
大きくなったら、あれをやる人になる!と
心に強く思い

現実的な進路を考えていた高校生の時に
友人のお父さんである演出家の方を通じて
博品館劇場でアルバイトをさせていただき

舞台演劇という世界に魅せられて…


この世界で自分は生きていきたいと
再び強く思いました。

 

その時に上演されていたお芝居は「フェードㇽ」。

舞台袖から見る舞台上の世界は
お姫様、王子様、魔女、強い人間、弱い人間…
様々な登場人物が、スポットライトの光を浴びて
束の間その瞬間を本当に生きる
不思議で魅力的な場所でした。

 

私がいた学校は一応進学校だったので
先生たちは皆、大学進学を進めてくれたのですが
早く舞台のことを学んで一人前になりたくて
自分で決めた道を進みなさい、と母の温かい応援もあり
わたしは晴れて劇団に入団しました。

小学校の時に見た演劇は『ジョン万次郎の冒険』。
「 世界は今君がいる場所だけじゃない。

   世界はもっともっと広くて、人生にはこれから沢山の出会いがあるんだよ。」

 

ということが。そのお芝居を通じてのメッセージで。
当時の自分の胸に深く刺さりました。


わたしもそうした仕事をしたいと思っていたので、小学校の巡回公演を行っているような事務所や劇団を調べて入団しました。


《トム・ソーヤー物語》

 

 

劇団に入団してからは
厳しい日々の稽古も、その後の反省会も、裏方作業も、本番も…

その全てが、大変だけど何にもかえがたく、楽しい日々でした。

 

沢山アルバイトを掛け持ちしていたので
いつも眠たかったけど
いつもお芝居のことを考えている…そんな贅沢な日々でした。

初舞台では、台詞が一つしかなかった私も
徐々に良い役がいただけるようになり
憧れだった巡回公演にも参加できるようになり
トラックに大道具を積んで、北は北海道から南は九州まで…
小学校、市民会館、その地域にある劇場など

様々な場所へ、公演に行きました。

共に寝食をする中で、劇団のみんなとは同じ屋号を背負っているという絆が生まれ
女子校で女の子の友達しかいなかった私にも、性別を超えた仲間という存在ができました。

みんな純粋にお芝居が大好きな人ばかりで、人間として愛らしい人ばかりで
私は家族のような温かさの中で、のびのびと
表現することの楽しさを学ばせていただきました。
 

たくさん泣いた記憶もあるし、悔しかったことや辛かったこともあったとは思うのですが
不思議と今、思い出すのは楽しい思い出ばかりで…
それだけ喜怒哀楽の全てが輝いているような、そんな時代でした。



《ああひめゆりの塔 楽屋にて》

 

 

沢山ある演目の中でも特に思い入れが深かったのは、毎年のように上演していた
「ああ ひめゆりの塔」という戦争時のひめゆり学徒隊の物語を描いた舞台でした。

 

若き学生という身でありながら、戦争という悲劇に巻き込まれてしまう女学生たちのお話で
史実に基づき、最期は防空壕で自害するという悲しいシーンで終わるのですが…
その時に皆で歌う「想思樹の歌」(別名・別れの歌)は、今でも覚えています。
この歌は、戦乱に追われて撤退する中で乙女たちに命を守る力と希望を与え続けたと言われています。

 

 

 

《防空壕で最期の時を迎える女学生たち》

 

 

演じる中で、戦争の罪、そして平和とは何か、命の尊厳…

今の私たちがするべきこと
色々なことを皆で話し合いながら、考えてきました。


あの時代を必死に生き、そして亡くなられた女学生の皆さん、先生たち、兵隊さんたち…


開戦前から終戦にかけての、そうした方々の悲しみや痛みなどの心情を物語の中で描くことで

戦争を知らない自分たち世代、そして次世代の子どもたちにも
こうした歴史を過去のことではなく、自分のことのように感じてもらえる


そんな機会となれば…という想いで
毎回皆で一丸となり、誠心誠意、精一杯演じていました。

 

 


 

いつも上演前には沖縄の方角に向かい
みんなで黙祷を行っていました。


決して戦争を美化する物語ではなく

むしろ演じていても胸が千切れそうになるくらいの残酷な描写もありました。


冒頭の楽しい運動会のシーンから始まり

男子学生との淡い恋のシーン

戦争が始まり不安に覆われるシーン

疎開船の対馬丸が沈むシーン

防空壕で兵隊さんたちを看病するシーン

友人や想い人を看取らねばならないシーン

青酸カリ入りの牛乳を兵隊さんに泣きながら注ぐシーン

そして想思樹の歌を歌いながら迎える最期のシーン…


私はこの演目で主演の与那嶺和子という女学生役をずっとやらせていただいていたのですが

数々のシーン、悲しい台詞たち、今でも鮮明に覚えています。


こんな想いを、実際にされた方がいたのだと。

老若男女、沢山の方々がこんなにも壮絶な生き方、そして亡くなり方をされたのだと。

同じ過ちを繰り返さないためにも、歴史を伝えていくのはとても大事なことだと思います。


こうした時代を乗り越えての 今の時代があり
こうした方々がいたからこそ 今の私たちがいる。

心に刻まれているこの事実を、これからも機会があればこの国でも伝えていきたいと思います。


今は舞台公演も見合わせが続いているようですが…
日本で劇団の皆がいつかまた、子どもたちに大切なメッセージを伝えられるように
こうしたお芝居を上演できる日が来ることを切に願っています。