四月三日
今日と明日は、砂漠横断の旅!!!!!
カイロから行けるバフレイヤ砂漠は、黒砂漠と白砂漠がある見どころ満載のアドベンチャーツアーらしい。
宿の住人たちからの口コミも絶賛だったので、きっとまた新しい感動が待っているのだろうと今日もワクワクが止まらない。
こんなに毎日ワクワクしてしまって、一生分のワクワクを使い果たしているのではないか、と少し心配になる(笑)。
面白い関西の女の子、アイさんとは今朝でお別れになるのでアラビア語でTシャツにメッセージを書いてもらう。
いってらっしゃいといってきますを、お互いに言い合う。
あとGOOD LUCKも。
砂漠ツアーには、同じ宿の医大生のお兄さんも同行することになった。
医大生の方が一緒って、ちょっと心強い。
就職前に記念でお一人で来たエジプト旅行らしく、お兄さんもひとりだと砂漠ツアーが高額になってしまうので本当にタイミングよかった!と喜んでくれた。
砂漠を走るに相応しい車高の高いジープで…出発!!
砂漠の案内人は、ハムディーさん。
たくさんのカラフルな布を、頭や体に巻き付けていてザ・旅先案内人というかんじ。
カイロの街から砂漠までは4、5時間かかると聞いていたけれど、あっという間に市街地の景色は消えて気が付けばもうほとんど建物のない郊外へ…。
まだ砂漠に入っていないのに、既にジェットコースターのように揺れる車体。
頭を車の天井にガコンガコン!とぶつけながら、どんどん何もなくなる景色を眺める。
砂漠へ繰り出す前に、手前の集落でお昼ご飯。
降りてみると、物語に出てくるような静かな時が流れる場所。
圧倒的に耳から入る音が少ない。
村…なのかな?
村という言葉も大きすぎると思うくらい、密やかに4,5軒の小さな家が建っている。
でもここで本当に誰か生活してるの?ってくらい、生活の香りも物音もしなければ人もいない。
砂漠へ行くひとたちのために作られた、食事をするだけの場所なのかもしれない。
砂漠地帯の食事は一体どんなお昼ご飯なんだろう、出されたものは何でも食べよう、と少々構えていたけれど、出てきたものはなんともヘルシーで美味しそうなお料理ではないか!
イメージ的に、乾燥肉とかが出されるのかと思っていた私たちは大喜び。
しかも、ガイドブックに載っていた「サラダホダラーッ」というお茶目な名前のサラダだと聞き、紹介されるときもちゃんとッ部分が生きていて、「サラダホダラーッに出会えた!!」と更に喜ぶ。
きゅうりとトマトと玉ねぎを和えたサラダなんだけど、マスタードオイルとビネガーと塩コショウで味付けされていて、とっても美味しい。
あとはユッケのような半レアなお肉とご飯とナンと…。
どれも味付けのセンスが良くて、大満足のランチだった。
きっと多くの旅行者が、こうしてお腹をここで満たしてバフレイヤ砂漠へ行くのだろう。
また車に乗り込み、走り出す。
砂漠の中では、ハムディーさんだけが頼りだ。
昼食後は、景色が完全に左右とも砂漠地帯となりもうどこから来たのか、どこへ向かうのかさっぱり分からない。
砂漠の民のようなハムディーさんは、自分の庭のように同じような景色の中を右へ左へハンドルを切りながら進んでいく。
私の頭の中には自然とBGMとしてサザンの「希望の轍」が流れていた。
途中で降りてみると、そこは砂の別世界だった。
あるのはただ、砂漠のみ。
生物の本能的な感覚なのか、降り立った瞬間に水がない世界、ということにじわじわと恐怖を覚える。
この車に積んである水が、私たちの命綱。
こんな風に快適な車での旅ですら、ちょっと歩くだけで灼熱の太陽に焼かれて喉が渇き、すぐ1Lの水なんて飲み干してしまう。
たった一泊二日の旅でも、私たち4人分の飲料水は相当な量だ。
その昔今のように指針なく砂漠を旅していた人たちは、どんなに不安と恐怖を抱えながら横断していたことだろう。
信頼できるエザットさんからの紹介だから、ハムディーさんのことも信頼できるが、この環境ではもし犯罪に巻き込まれたとしてもわたしたちはただただ無力だろう。帰り道もわからない、生きる術もない。
生の厳しさと死の身近さをひしひしと感じて、熱の籠る身体とは裏腹に頭はすっと冷えていくのを感じた。
そんな時、まさかの日本語で声をかけられる。
「ちょっとねーちゃんたち!!また会うたなあー!!」
ん…!?
この声は、ピラミッドの玄室で会ったハイヒールモモコおばちゃまではないか!!
おばちゃまは白い大きなマスクにサングラスに帽子で全然顔がわからず、一見ものすごく怪しい出で立ちだったけれど、パワフルな関西弁とよくとおる声ですぐに分かった!
ご友人と砂漠を見てきて帰るところらしい。
二度も会うなんて、ファラオのお導きだろうか…それにしても元気そうなおばちゃまを見て勇気がでた。
私たちよりずっと年上の方々があんなに旅をエンジョイされている。
私もいちいち考えこまずに、今という時を思いきり楽しもう。
ありがとう、ハイヒールモモコおばちゃん!
ますは黒砂漠に到着。
黒砂漠は、太古の噴火により黒い火山岩に覆われていて、表面が黒い丘がいくつもある。
ブラックマウンテンと呼ばれるその黒砂漠で一番高い山に登る。
そこから見る景色は…本当に別世界で。
これは、私たちが毎日生きてきたあの同じ地球??と、問いかけたくなるほど。
音のない、生命の気配を感じない、ただただ見渡す限り同じような景色が広がっている。
なんだか手塚治虫さんの火の鳥になったような気分だ。
私たち以外の生物はいないんじゃないか、そんな風に思えてくる。
黒砂漠を後に、クリスタルマウンテンと呼ばれる結晶石のある場所へ。
一見珊瑚のような景色、よく見るとひとつひとつが本当にクリスタル!
太陽の光に照らされキラキラと光る結晶は本当に綺麗。
そして名物の白砂漠へ。
この白砂漠にはいろんな形の岩、いろんな表情がある。
これは二羽の白鳥が語り合っているみたい。
これはマッシュルームストーンと言われていて、確かにしめじみたいで可愛い!
なんとなくナメック星にありそう。
これは…なんだろう…蓋つきのツボ (^^;)??
こういう形に自然とできあがるっていうのが、すごい。
まさに自然の芸術。
風が描いた砂模様。
太陽の位置が変わるたびに、影の位置も色も変わって色々な表情を見せてくれる。
夕方にキャンプする場所に着いてからは、なーんにもしないでただ沈む夕日を見ていた。
びっくりするくらい何もない砂漠のど真ん中のような場所で、え、ここに泊まるの!?と驚いたけれど、みんなで布をひいて必要な荷物を降ろして。
太陽がこんなにも大きいことを知る。
ただただ、空の色が変わるのを、光が消えていくのを、辺りが闇に包まれるのを見ていた。
それは、ただ「感じる」という行為。
なんて贅沢な時間だろう。
ふかふかのベッドや綺麗に盛り付けられたお食事、そういう贅沢とはまた違う、自然が地球がくれる最高のショーを見ている気持ちだった。
そこに言葉はいらなかった。
綺麗だなあ、気持ちいいなあ、すごいなあ、、、って言葉にしたら安易になってしまうほど、今自分が感じているものが壮大すぎて、わたしも、ちよみんも、お兄さんも、ハムディーさんも、一緒にいるけどみんな黙って、でも幸せに包まれながら同じ感動を共有していた。
日が地平線に沈む。
本当にこんなにも美しいことが、毎日この星で行われていたなんて。
ふいに感極まって涙が出てきた。
大げさかもしれないけれど、地球という星に人間として生まれたことへの感謝が溢れてきた。
光が昇ることはなんてありがたいことなんだろう。
闇が訪れることも、なんてありがたいことなんだろう。
太陽に焼かれた身体は、夜の闇により熱を冷まし休息を経てまた動き出す。
ずっと光でも、ずっと闇でも、きっと私たちは生きていけない。
この布が今日の寝床。
砂漠のど真ん中にブランケットをひいただけの、屋根も壁ない、もちろんお風呂もトイレもない完全に野宿だけど、不思議と日が落ちてからは暑くもなく寒くもなく快適だった。
夕食の準備をみんなで始める。
一日中歩き回ってお腹がぺこぺこだったので、チキンバーベキューと聞いて大興奮。
ハムディーさんは手際よく鶏をさばき、網焼きの上でお料理をする。
水のない中で、そして真っ暗の中でよくこんなにお料理ができるなあと、感心してしまう。
最小限に水を使って、サラダとシチューとチキンまで作ってくれた。
砂漠のシェフなるハムディーさんが作ってくれたお食事は、本当に美味しかった。
食後は、焚火を囲みながらぼーっとする豊かな時間。
こんな時間て、今の現代社会の中ではなかなか過ごせない。
火を見つめながら過ごしていた原始時代から、わたしたちは豊かさを手にしたけれど、そんな中で生まれたわたしはこの原始的な時間を豊かだなあと思う。
でもじゃあこれが毎日続いたらどうか?って言われると
うーんそれも悪くないとは思いつつ、やはり考えてしまう。
結局人間て、ないものねだりばかりしてしまう生き物なのかもしれない。
そんなことを考えていると、ちよみんは炎を見て気持ちが昂ったのか、何故かものすごい身体のキレでアラビアンダンスを踊り始めた。
元気なら一緒に踊りたかったけれど、体力のない私は砂漠を歩き回りクタクタで、もう立つ力もなかった。
医大生のお兄さんも、「ははは・・・」と笑いながら優しく見守ってくれている。
たくさん壮大なものを見たせいか、火を見て考える者、踊る者、見守る者、いろんな人がいてもいいじゃないか…という大きな気持ちになっていた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
ちよみんは無心に踊っている。その踊りは、一つ一つの形が美しくリズムも抜群で燃え盛る炎と呼応し、ちよみんの反射神経の良さを表していた。いつもサービス精神が旺盛で周りを楽しませてくれるちよみんだけど、この時は彼女自身が踊りたくてまるで祈るように踊っているのだと感じた。
不思議とあんなに疲れていたのに、わたしも少し踊りたい気持ちになりお兄さんもそうだったのか、自然と私たちはみんなで立ち上がり手をつなぎ、火を囲んでぐるぐる回り始めた。
マイムマイムマイムマイム…マイムベッサンソン
その昔、水源の乏しい開拓地で水を掘り当てた人々の喜ぶ様を歌ったというこの歌。
旧約聖書のイザヤ書第12章3節に出てくるエピソードでもある。
マイムはヘブライ語で水を意味する。
水、水、水、水、救いの水を喜ぶ汲む…
本当に自然に、誰からということもなく、この歌をわたしたちはみんなで歌った。
水のないこの砂漠の夜に。
お酒も飲んでいない大の大人が、ただひたすら火を囲んで真剣にマイムマイムをするって、普通に考えたらちょっぴり変なことかもしれないけれど、あの時の私たちにとっては今日の一日を締めくくるにこれほど適切な行動は、ないように思えた。
ハムディーさんも楽しそうに輪に加わり、一緒に歌って踊ってくれている。
私たちは、へとへとになるまでマイムマイムを踊り、力尽きて砂の上の布にそれぞれ寝ころんだ。
上を見れば、満天の星が私たちを包んでくれていた。
本当に、落ちてきそうに満天の星。
一体何等星まで見えるんだろう??
地球を通り抜けて、まるで宇宙に浮かんでいるみたいだ。
何かの歌詞にあったけれど、本当に例えるなら星のシャンデリア。。。
まだ整わない自分の呼吸の音だけが聞こえる。
でも、本当にそれだけ。
静かすぎて、耳が痛いくらい。
東京で育った私はいつも音に囲まれていたから、こんな静寂は生まれてから初めてかもしれない。
呼吸が整うと、今度は自分の鼓動の音が聞こえてきた。
ドクン、ドクン…。
自分がひとつの生命体である、ということを確認する。
血液が流れて、心臓に運ばれ、またそこから送り出され…
そんな体内の作業すらも音で感じるような気分だった。
自分の命の鼓動を感じながら、ずーっと空を見ていた。
全部の感覚が研ぎ澄まされていくような感覚で、身体はすごく疲れているのにもったいなくて全然眠れなかった。
流れ星をいくつ見ただろう。
星の輝きに包まれて、わたしはこの砂漠の旅で、世界の美しさを知った。