日本から出発してアジア→ヨーロッパ→アメリカと世界一周しながらいろんな国の動画を撮って、動画共有サイトにリアルタイムで更新していくのが目的の私たちの旅。
その玄関口となったアジアでは、旅の序章でありながら濃密で胸の高鳴る時間を過ごすことができた。
街の風景、珍しい食べ物、その国の文化が反映された民族衣装や建造物、何よりもその土地の人々との一期一会。
それは、「旅」という言葉に浪漫を期待するわたしの気持ちを満たしてくれるものだった。
と、同時に日本にいたら一生見られないような現実という名の過酷さや悲惨さも目の当たりにし、日本にいたら一生考えなかったかもしれないことまで考えさせられた日々だった。
私は今までも海外旅行をしたことがあったけれど、今思うとそれは自分達の中で完結する型の旅だったように思える。 飛行機に乗り、ホテルまでは送迎があり、綺麗なルームやトイレ、日本人の下に合う美味しい食事、観光スポットやショッピングやマッサージ… 楽しいことばかり。
そういう旅を、わたしは決して否定しない。 むしろ肯定したい。
だって「楽しさ」をお金で買うんだもの。 日本で一生懸命働いて、クタクタになって、羽を伸ばしたいからバカンスへ海外へ。
それって最高の時間とお金の使い方だと思う。
ただ、今回のように自分達で手配をして街をあるきながら模索するような旅だったからこそ、得られたものもたくさんあった。
アトラクションではない、その国の人々の暮らしを覗いてみると、時には目にしたくないことまで飛び込んでくることがあった。
諦めに似た暗い光の瞳で手を出してくる物乞いや、商売上手な子ども、その子どもを張り倒す母親…
お金は働いて得るもの
子どもは学校に行くもの
母親は子どもの頭を撫でるもの
同じ時代でも国によって当たり前という概念はこんなにも変わるのか、と。
出稼ぎに来ているという労働者に、その国の労働者が威張り、その労働者もボスの前ではペコペコと諂う。
ブルーハーツの「弱い者たちが夕暮れ 更に弱い者を叩く」という歌詞が何度も頭に浮かんだ。
ヒロトは何処で、その風景を見たのだろう。
概念的なことを考えたら、日本にもきっとある現象なのだろう。
私たちには親切にしてくれた人も、自分よりも立場の弱い人には威張り散らし冷たくあしらっているのを見ると、暗い気持ちになった。
宗教やカースト制など生まれながらして背負う宿命に関しても、日本に生まれた私から見ると納得がいかないことばかりだった。
でもインドで会った女性が、「もし宗教がなかったとしたら、何を指針に、何を信じて生きていけば良いの?死への恐怖とはどう戦えば良いの?」と真っ直ぐな瞳で問われ、私は言葉につまっしまった。
神様がいるかなんて、誰にもわからない。 特定の宗教に属さない自分は、いるのかもしれないし、いないのかもしれないくらいに思う。
神様なんて、いない。と絶望する時もあれば、困難な時は、ああ神様と天に祈ってしまう時もある。
そんな私が何を信じているのかと問われるならば、自分自身と言えるのかもしれないけれど、私は人間の弱さやちっぽけさをこの旅で改めて今感じているじゃないか。
生きていくという過酷な旅の、絶対的な指針になるには人間は脆すぎやしないか。
神のような不動の存在を必要とするのではないか。
宗教により絶対的な存在や教えに全てを委ね、心の平安が得られるのであればそれはとても幸せな生き方なのかもしれない。
どの宗教も教え自体は平和を説くものがほとんどで、それを盾に争いを起こしているのは人間自身なのだから。
アジアの道端にはいろんな世界が混在していて、今まで信じていたものが覆ったり、新たな価値観に鱗が出たり。
まさに感情フル回転だった。
そこには、生きていくことのしんどさと、それに疲れた人々の退廃的な空気が漂っていて、旅に浪漫を求めていた私は思わず目を背けたくなってしまう。
明るく楽しく生きていくためには、 「世界はなんて美しく、素晴らしいんだ!」と、何の迷いもなく言い切りたくなる。
でも、現実にある世界はそうした表面だけの薄っぺらいものではなく、表裏どころかもっと色んな面がある多面体であり、複雑に入り組んでいて、見る角度により全く別のものが見えたりする。
悲しいこと、嬉しいこと、神々しさ、いじきたなさ…すべては表裏一体だったりする。
私たちは日本という美徳を重んじる国で教育を受けてきたが故に、そうした道徳の裏側にあるものには目を瞑ってしまいそうになるけれど、この旅ではそれらに目を背けないでいよう、と思った。
見たくないものに遭遇した時こそ、目を見開いて見よう。
それがたとえ痛くても、その痛みもきちんと刻もう。
そうして本当の意味で「世界を見てきた」と 胸を張って言えるように強くなりたい、そう思った。
私たちは、アジアをぬけてエジプトに渡り、ヨーロッパへと進む。
そこにはどんなまだ見ぬ世界が待っているのだろうと、期待に胸を膨らませながら。